宗像関連古文書・史料
文書群名 |
八巻文書第8巻 |
文書番号 |
186 |
文書名 |
宗像第一宮神紋石記 |
和暦 |
元禄二年五月
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西暦 |
1689年 5月 |
本文 |
宗像第一宮神紋石記 元禄二年己巳歲春二月十六日、故大宮司之宅仮山上一巨石自破、中含文、作楢葉。如画、如織、如雕、如礱。重々無尽、片々粲然。故老相伝。尊神以菱角楢葉為紋。而今、宮殿門扉之鈽及宝器帷幕之属、咸以楢葉為表旘。知所伝有以也。今茲邦君光之公〈筑前太守松平衛門助光之公〉告老於釣〔鈞〕府、令嗣綱政公〈衛門助公一子松平肥前守様〉立執信圭、亦二月九日也。吁当此時斯文之彰、乃神天至誠之感而為邦君奕葉之兆較著矣。社司秋続等、以度以賀、斉明盛眼、再拝稽首収之宝庫。名曰神紋石。命子食毛已尚。随喜亦殺矣。仍聊記事、附以銘。銘日、皇矣神徳 妙応無方 壮矣侯白 教化流芳 君以民子 民以君嬢 豈仁云也 惟道之常 国家将与〔興〕 必有禎祥 神〓喜運 石出文章 楢葉騰茂 奕世有光 九州何許 松秀福岡 小臣廟算 武運天長 旹元禄二年己巳夏五月吉蠲 |
読み下し |
宗像第一宮神紋石記 元禄二年己巳歳春二月十六日、故大宮司の宅の仮山の上に一巨石自ら破れ、中に文を含みて、楢葉を作せり。画くが如く、織るが如く、雕るが如く、礱くが如し。重々無尽にして、片々粲然たり。故老相伝ふ。尊神菱角楢葉を以て紋となす。而るに今、宮殿門扉の鈽り及び宝器帷幕の属まで、咸楢葉を以て表旘となす。知りぬ伝ふる所以あるなり。今茲に邦君(黒田)光之公〈筑前太守松平衛門助光之公〉老を鈞府に告げ、令嗣綱政公〈衛門助公一子松平肥前守様〉立ちて信圭を執るも、亦二月九日なり。吁此の時に当つて斯の文の彰はるること、乃ち神天至誠の感にして、邦君奕葉の兆たること較著たり。社司(深田)秋続等、以て度し以て賀し、斉明盛眼、再拝稽首してこれを宝庫に収む。名づけて神紋石と曰ふ。命子毛を食ふこと已に尚し。随喜また殺し。仍つて聊か事を記し、附するに銘を以てす。銘に曰く、皇なるかな神徳、妙応方なし 壮なるかな侯白 教化芳を流す 君は民を以て子とし 民は君を以て嬢とす 豈仁をしも云はんや 惟れ道の常なり 国家将に興らんとす 必ず禎祥あり 神喜運を〓(み)て 石文章を出せり 楢葉茂を騰げ 奕世光ることあり 九州何れの許ぞ 松福岡に秀づ 小臣廟算するに 武運天のごとく長し 時に元禄二年己巳夏五月吉蠲 |
大意 |
大宮司旧宅の巨石を打割るに、中から楢葉の形が出たため、それを宝庫に納めて神紋石と名付ける。 |
紙質 |
楮紙 |
寸法(縦) |
27.8cm |
寸法(横) |
52.3cm |
備考 |
3紙継ぎの料紙に、187号文書とともに書かれる(横寸法は第1紙が44.9cm、第2紙が42.9cm、第3紙が37.5cm)。原文書には独自の振り仮名、返り点などが施されている。光之、綱政についての傍注は原文書では本文左側にあるため、本文右側の位置で翻刻している原本から適宜位置を変更した。〓は「虗+見」の字。 |
出典 |
『宗像大社文書』第1巻 |
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