世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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宗像関連古文書・史料

  • 鎮西裁許状/
文書群名 八巻文書第4巻
文書番号 88
文書名 鎮西裁許状
和暦 元徳三年七月二十五日
西暦 1331年 7月 25日
本文  宗像六郎三郎氏勝代朝秀申肥前国晴気保内弥久安名検注年貢済物事
右、当名々主平原孫五郎入道良遊元亨四年以来打止検注、抑留年貢済物、不相従地頭所務之由、朝秀訴申之間、度々尋下之上、以使節横大路次郎入道祐西、重加催促之処、如執進去年二月八日良遊請文者、氏勝代朝秀申弥久安名年貢以下事。企参上可明申〈云云〉者、良遊捧自由請文之後、于今不参。不遁難渋之咎歟。然則於検注者、任先規遵行之、至年貢済物者、遂結解、可令究済者。依仰下知如件。
  元徳三年七月廿五日
              修理亮平朝臣(花押)
読み下し  宗像六郎三郎氏勝代朝秀申す肥前国(小城郡)晴気保内弥久安名の検注年貢済物の事
右、当名々主平原孫五郎入道良遊元亨四年以来検注を打ち止め、年貢済物を抑留し、地頭の所務に相従はざるの由、朝秀訴へ申すの間、度々尋ね下すの上、使節横大路次郎入道祐西を以て、重ねて催促を加ふるの処、執り進らす去年二月八日良遊の請文の如くんば、氏勝代朝秀申す弥久安名年貢以下の事。参上を企て明らめ申すべしと〈云云〉者れば、良遊自由の請文を捧ぐるの後、今に不参。難渋の咎遁れざるか。然れば則ち検注においては、先規に任せて遵行し、年貢済物に至りては、結解を遂げ、究済せしむべし者り。仰せに依つて下知件の如し。
  元徳三年七月廿五日
              修理亮平朝臣(赤橋英時)(花押)
大意 鎮西探題が宗像氏勝代朝秀の訴えにより、晴気保弥久安名名主平原良遊に年貢済物の究済を命じた。
紙質 楮紙
寸法(縦) 33.1cm
寸法(横) 48.8cm
備考
出典 『宗像大社文書』第1巻