世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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日本全国の宗像神社・関連スポット

    件名 唐坊八幡宮・柳牟田社(金刀比羅宮合祀八幡宮)(とうぼうはちまんぐう)
    種別 神社
    所在地 福岡県福津市在自460
    概要 筑前続風土記附録 唐坊八幡宮
    神殿方四尺、拝殿二間二間半、祭礼9月26日、奉祀惣ノ市。新町30戸の産神也。いにしへは唐坊に鎮座し給ひしを、延宝元甲申年今のヲ々アラジに遷し奉りぬ。祭る所神功皇后也。御母子一體の儀にて八幡宮と称すといへり。

    筑前続風土記拾遺 柳牟田社
    大在自にあり。本村の産神也。古は唐坊に(柳の宿の一名なり)に鎮座有し故、今に唐坊八幡といふ。延宝元年に此処に移せり。所祭は神功皇后なり。此社は宗像75社の内「柳牟田社」とあるは是なるべし。祭礼は9月26日也。当所の巫女奉祀す。

    【宗像神社史】
    唐坊八幡宮、正平年中行事に75社の一つとして「唐坊八幡宮社」とある。続風土記有千潟の條に、荒司村の北、津屋崎の間に「むかしは唐坊と云宿あり。」とあり、延宝元年(1673)唐坊の民家をことごとく除いて、荒司村に加へたため、今は宿はなく、同書須多田の條には「宮山とて、めくりにほり二重堀まはし、四方に門ありし跡あり」とある。同附録在自の條に「延宝の年、荒司村に移せり。その跡に今、津屋崎の酒肆佐治某、社を造立して唐坊八幡宮と号す」さらに明治44年、金刀比羅神社に合祀された。
    柳牟田社、御縁起に百八社の一つとして「柳牟田社」と見え、正平年中行事、神事の條に「柳牟田社、9月9日神事、11月3日神事」とある。続風土記拾遺には、在自村の唐坊八幡宮は唐坊といふ所にあったための名であるが、唐坊はその古名を「柳の宿」といってゐたため、この八幡宮こそ宗像75社の内の「柳牟田社」であろうといってゐる。これによると「唐坊八幡宮」といふ社は、この社の後身であるといふことになる。

    現況=現今の金刀比羅神社は立派に御造営が成されているが、境内末社郡の中に「唐坊八幡宮」も「柳牟田社」もさらに「牧口社」も無い。本殿に相殿合祀されている。
    旧社格
    祭神 神功皇后
    時期
    特記事項
    出典・参考文献・HP
    関係論文1
    関係論文2
    関係論文3