世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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日本全国の宗像神社・関連スポット

    件名 在自若宮(金刀比羅神社境内八幡神社)(あらじわかみや)
    種別 神社
    所在地 福岡県福津市在自460
    概要 〔神社帳〕祭神応神天皇、仁徳天皇、神功皇后ハ在自村字観音谷村社八幡神社ニ祭祀アリシヲ、明治四十四年六月廿一日合併シ、社号ヲ村社「金刀比羅神社」ト改称許可ヲ得。
    金毘羅社(筑前続風土記拾遺)
    大在自村に在。昔より天蓋山(社の上にある高山なり。)の頂に小祠有しを、修験者大澄、享保の初年、讃州より金毘羅神を勧請して、相殿に祭り、寛延年中麓なる今の地に社を移せり。霊験ありとて、常に参詣の人たえす。毎年八月九日の夜は、津屋崎の海浜まて神幸有て、いと賑し。当山派山伏奉仕す。
    〔宗像神社史〕 在自若宮(金刀比羅神社境内八幡神社)
    正平年中行事に七十五社の一つとして、「在自牧口社、小神若宮」とあるので、最初は在自牧口社の眷属小神の姿で存したと考へられる。但し同書、神事の條では、その祭祀は独立して、「在自郷若宮明神、十二月廿日神事、同日佛事」とある。吉野期神事目録の九月御九日祭の條に、「在事若宮、十九日」とある。明細帳では津屋崎町大字在自字平原鎮座の金刀比羅神社の由緒の項を見ると、もと大字在自字観音谷に村社八幡神社の在ったものをこれに宛てゝいゐる。そのいづれかゞ在自若宮ではないかと思はれる。この村社八幡神社は、明治四十四年、金刀比羅神社に合祀されている。
    現況 在自字平原鎮座の「金刀比羅神社」は御遷宮により一変している。境内末社も整備されている。しかしその末社の中に、牧口社、在自若宮社、さらに、唐坊八幡宮、柳牟田社の社号はない。明治四十四年の合祀許可を得られた時、本殿内に、金刀比羅神と相殿合祀されたのであらう。宗像神社史にも、筑前風土記を始めとする記録にも、くわしくは記されていない。しかし、歴代続く大澄宮司家と、氏子中の手により、立派に境内は整理され、鳥居、参道、石段、燈籠等美しく修理、復興が成されている。境内に大参集殿建設の準備が行なわれて居た。
    旧社格
    祭神 應神天皇、仁徳天皇、神功皇后
    時期
    特記事項
    出典・参考文献・HP
    関係論文1
    関係論文2
    関係論文3