世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

文字サイズ 標準 特大
背景色

日本全国の宗像神社・関連スポット

    件名 示現明神(田熊神社)(じげんみょうじん)
    種別 神社
    所在地 福岡県宗像市田熊3-5-16
    概要 宗像75社ノ一也。往古ハ出雲ノ大社ト排例ノ社ト云。故ニ11月(神無月)2日ニ神事有リ。宗像年中行事記ニ見エタリ。昔ハ村ノ艮ジゲト云所ニ在リシヲ。延宝年中今ノ社地ニ遷座ス。其跡著シ。四至ノ大石四ケ建リ、其間甚広シ。今ハ田ト成レリ。其地ニ甑島ト云字有。御饌ヲ調達セシ所ト云。其地凡貮万歩計リアリ。又其近キ所ニ鳥居田アリ。鳥居ヲ建シ処ト云。「ジゲ」ハ示現ノ訛ニテ、当社ヲ示現大明神ト云シヲ、明治3年故アリテ田熊神社ト改称ス。昔ハ大社ナレハ、古文書古器物等数多アリケレ共、安永5年ニ社殿回録ニ及、今ハ少残レリ。明治5年11月3日村社ニ被定。大正15年6月24日神饌幣白料供進指定済。例祭陰暦6月15日。
    境内神社4社貴船神社(保食神)由緒不詳須賀神社(伊弉諾命・伊弉朋命・素戔嗚命)字地下ヨリ移転貴船神社(保食神)由緒不詳 字中尾ヨリ移転多賀神社(伊弉諾命・高龗神)祭日8月2日
    [宗像神社史]示現明神(田熊神社)
    御縁起に108社の1つとして「示現明神」と見え、正平年中行事に75社の1つとして「示現大明神社」と同神事の條に、「示現明神11月2日神事」とあり、吉野期神事目録、9月の御9日神事について、「示現明神9日]とある。延宝末社帳には「示現明神大物主命」とある。続風土記附録田熊村の條に、「示現社ナカヲ、神殿方1間、拝殿2間・3間、祭礼9月9日、石鳥居1基、奉祀山伏重寿院。産神也。祭る所、大己貴命・素戔嗚尊也。いにしへはジゲといふ所に鎮座ありしが、(其地に大石四箇あり。宝暦元年(1751)祇園の社を建立す。)延宝年中、田嶋の社内に移せり。其後此地に又社を建て祭れり。」とある。同拾遺の同村の條には、同村中尾の「示現大明神」を以て「宗像75社の一也。」としている。明細帳には、東郷村大字田熊字中尾鎮座の「田熊神社」(村社)をこれに充てゝいる。即ち昔は村の艮のジゲ(示現)に在ったのを、延宝年中、今の社地に移した。永く示現大明神といって耒たが、明治3年「田熊神社」と改めるに至ったといふ。その境内社貴船神社は、古の75末社の1つなる田熊貴船の後とする。現今、例祭は10月15日。社殿は本殿(流造)・拝殿・幣殿・社務所。境内473坪余。氏子は400戸である。
    [福岡県地理全誌]田熊神社
    昔ハ村ノ東北地下(示現ノ誤ナリ。)ト云所ニアリシヲ、延宝年中田島ノ社地ニ移シ、其後又今ノ地ニ移セリ。末社5、貴船神社、(宗像年中行事記ニ田熊貴船神社11月神事トアリ。)菅原神社・宇賀神社以上3社相殿堀ニアリ。龗神社(上畑)多賀神社(地下)
    現況=拝殿を始め本殿霧囲、末社、鳥居外諸々物、平成御大典記念の頃に全て新改造された美しい境内である。又裏参道を下ると、田熊小学校々庭に出る。日毎に子供達の成長をお守りされる。鎮座〇として氏子中より厚い崇敬の神社である。夏季の東郷山笠賑う祇園社でもある。
    旧社格 旧村社
    祭神 素戔嗚尊・大己貴命
    時期
    特記事項
    出典・参考文献・HP
    関係論文1
    関係論文2
    関係論文3