世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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日本全国の宗像神社・関連スポット

    件名 葦木神社(あしきじんじゃ)
    種別 神社
    所在地 福岡県宗像市深田384
    概要 宗像末社記ニ葦木明神12月14日祭之ト有。今ハ9月15日・18日ニ祭礼ス。当社鎮座ノ由縁、正平年中宗像大宮司氏郷ノ年中行事記、及後堀河院ノ寛喜ノ綸旨ニモ見ユ。亦該社鎮座ノ南ニ石櫃理アリ。朝廷ヨリ大刀ヲ納メラル由云伝フレハ、往古宗像三柱大神、当村エ降臨ノ際ヨリノ鎮座ナルカ詳ナラス。明治5年11月3日村社ニ被定。祭神底筒男命・中筒男命・上筒男命ハ字田子浦丹後神社トシテ、祭神不詳神崎神社ハ字井手浦ニ、祭神水分神、水波賣神ハ字平ムタニ雨守神社トシテ祭祀アリシヲ、大正4年12月7日許可ヲ得テ合祀セリ。
    境内神社 徳満神社(大己貴命)由緒不詳 須賀神社(素盞鳴命)由緒不詳
    【宗像神社史】葦木神社
    御縁起に、百八社の一つとして「葦木明神」と、同高宮下符社のうちに「葦木明神社」と見え、正平年中行事に75社の一つとして、上高宮下符社のうちに「葦木明神」と、同高宮下符社神事の條には「葦木明神(11月24日祭之)」とある。
    延宝末社帳には、「葦木明神深田村ニ在リ。句句廼馳命」とし、続風土記附録には牟田尻村キドの條に(神殿5尺、8尺、拝殿2間・3間、祭礼9月18日、石鳥居1基。古へより命婦奉祀せりしか、今は豊福三河奉祀す。)村の南にあり。産神なり。祭る所、瓊瓊杵尊、稲倉魂尊なり」といひ、同拾遺同村の條に「葦木神社村の南、木戸内と云所に在。産神也。所祭、稚産霊命・倉稲魂命・保食神。いつれも石躰也。宗像末社75社の一也。」とある。
    明細帳によると、田島村大字牟田尻字木戸ノ内に鎮座の葦木神社(村社)をこれとする。現今、例祭は10月15日。社殿は本殿(流造)・拝殿・炊舎。境内664坪余。氏子75戸、境内に組合石棺が二基ある。
    【筑前続風土記拾遺】葦木神社
    村の南木戸内と云処に在産神也。所祭稚産霊命・倉稲魂命・保食命いつれも石体なり。(附録に瓊瓊杵尊・倉稲魂神を祭ると見へたり。)宗像末社75社の一也。同社年中行事記に葦木明神11月14日祭之と有。今は2月18日、8月18日、9月18日に祀る。村民の説に文明元年正月に宗像大宮司氏佐はしめて勧請ありしよしいひ伝ふれども、正平23年6月大宮司氏郷の年中行事記に、此社を戴たれば、村民の説は信ずべからず。75社の目録は後堀川院の寛喜の綸旨にも見へ侍れば、猶其前久しき世より祭り来りしなるべし。社内に徳満社あり。大己貴神を祀る。此徳満社と葦木社との間に上代より石櫃二ツ埋みてあり。太刀を蔵る由云伝ふ。宗像社の社人豊福氏奉祀す。(氏貞の時より同社の命婦、此社を奉仕せしが、近来はしからず。)合祀丹後神社、神埼神社にかんしては、筑前続風土記拾遺に次の如く記せり。
    【筑前続風土記拾遺】
    田子大明神社田子浦といふ処にあり。又丹後とも書り。住吉三神を祭る。石神にして小祠也。社側に冬青樹と海石榴樹との連理あり。ニ樹共に老木也。
    【筑前国続風土記拾遺】神埼明神祠
    神名詳ならず。昔は高尾山の南に在。其地を古神崎と云ふ。
    現況=宗像大社辺津宮の北西約1キロの地、玄海町深田にある。道添にニ基の鳥居あり右側に「徳満社」左側に「葦木神社」の扁額あり。戦前戦後は祭日には牛・馬市場が建ったと聞く。大変な賑わいであったらしい。現今農家から牛馬は消へ、トラクターに変り、往昔の賑わいを偲ぶものは無い。
    旧社格
    祭神 稚産霊命・倉稲魂命・保食神・底筒男命・中筒男命・上筒男命・水分神・水波賣神
    時期
    特記事項
    出典・参考文献・HP
    関係論文1
    関係論文2
    関係論文3