日本全国の宗像神社・関連スポット
件名 |
須多田神社(天降天神社)(すだたじんじゃ) |
種別 |
神社 |
所在地 |
福岡県福津市須多田511 |
概要 |
不詳。明治5年11月3日村社ニ被定。例祭8月9月27日。 [宗像神社史]御縁起に108社の1つとして、高宮下符社のうちに、「右11番須多田明神社」と見え、正平年中行事に75社の1つとして、上高宮下符社のうちに「須多田明神」同下符神事の條に「須多田明神(11月4日祭之)」とある。延宝末社帳には「須多田明神猿田彦命」としている。現今、津屋崎町大字須多田鎮座の天降天神社(舊村社、祭神少彦名神)をもって本社に充てる。例祭1月27日・9月27日。境内2,043坪。氏子35戸。(新明細帳)なほ天降神社は本殿なく、前方後円墳の後円の部分を神体山として奉拝している。 [筑前続風土記附録]須多田村 天守天神社(神殿2間3間、祭礼9月28日、石鳥居基、奉祀在自村ノ市)産神也。祭る所少彦名命なり。鎮座の年歴伝ふる事なし。社内に祇園社あり。本篇に見へし簾長者の居なりし所なり。 [筑前続風土記拾遺]天守天神社 宮山に在。産神也。少彦名命を祀れり。在自村巫女奉祀す。本篇に見へたる簾長者か宅址は、当社の後にあり。堀の址、今はかたはかり残れり。 ※[簾長者宅址=筑前続風土記(須多田)] 此地に宮山迚、廻り堀二重ほりまはし、四方に門有し祉有。ひきゝ山也。城址の如し。昔此辺簾長者と云富人ありしと云傅ふ。其故に村の名をも簾田と云にや。 [福岡懸地理全誌]簾長者宅址=天降神社の後ニアリ周ニ堀ノ迹アリ。城址ノ如シ。簾長者ト云富人住シ所ト云伝フ。村ノ名ヲ須多田ト云モ、此ヨリ転セルナリ。 現況=津屋崎町勝浦の練原より左折し奴山に至る町道を右折して大石・須多田に至る。この町道は在自を圣由して宮地嶽神社下県道に合流する。この道すがら左右には古墳や宮地嶽を始めとする在自嶽、大石、奴山、名児山と、名所旧跡の多い土地柄である。その須多田部落の産神が天降天神社(須多田神社)である。正面鳥居横に〇建の由緒板が設置され、拝殿前第二鳥居も近年修理された様である。拝殿右には上記の様な由来板もあった。本殿は無く、立派な古墳が雑木林の下に円形を見せている。神秘をただよう境内である。 |
旧社格 |
村社 |
祭神 |
少彦名命 |
時期 |
|
特記事項 |
|
出典・参考文献・HP |
|
関係論文1 |
|
関係論文2 |
|
関係論文3 |
|
copyright © 2020 世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群保存活用協議会 All Rights Reserved.