日本全国の宗像神社・関連スポット
件名 |
楯崎神社(たてさきじんじゃ) |
種別 |
神社 |
所在地 |
福岡県福津市渡御園946-1 |
概要 |
宗像宮社記ニ曰ク、当神對異賊最初ノ合戦ニ、御楯袁被築始處袁楯崎ト号ス云々。古宮社記ニ往昔息長姫命。〇西征ノ時、登斯山而、祈請セラレタル遺跡也。今俗所稱崎薬師者、〇此新宮、在于渡村、後此ニ移転ストアリ。明治5年11月3日村社ニ被定。昭和6年6月16日神饌幣帛料供進指定済。例祭3月15日。 [宗像神社史] 御縁起に108社の1つとして「楯崎明神」、同高宮下符社のうち「楯崎明神社」と、正平年中行事に75社の1つとして、上高宮下符社のうち「楯崎明神」と同高宮下符神事の條に「楯崎明神(11月2日祭之)とある延宝末社帳には「楯崎明神大己貴命」とある。 [筑前続風土記]楯崎は、渡村より十町許乾の方に在。大楯崎権現と称す。薬師佛も同社中に在祭礼9月24日也。又小楯崎権見とて有。社はなし。神體大岩也。神功皇后此所に御上りのよし云伝ふ。又牧大明神とて有。 [筑前続風土記附録]渡村 楯崎権現社(神殿拝殿造続2間2間半、祭礼3月8日始、同15日終、祭祀林光坊)本編に大楯崎権現とあり。祭る所熊野3所神也。(或大巳貴命、少彦名命を祭るといふ。本編に見へたる社中の薬師佛なるべし。薬師佛今は社後の岩窟に安置せり。)相殿に飛龍権現をも祭れり。神功皇后の御事也といふ。皇后三韓より御帰朝の時、此海濱の京泊りといふ所に、御船着。夫より此山に上らせ給ひ、楯板を藏め置れし地なれば、楯崎山(薬師山ともいふ)と写す、と里民いへり。また此山の絶頂に楯石といふあり。其西の方は掛崖数十丈にして、〇岨なり。本編に小楯崎権現とてあり。社はなし。神體大岩なりと記せるは、此楯石の事なるへし。今は小楯崎権現とは称せす。社のうしろに岩窟(入2間横2尺5寸、口の髙さ2尺5寸)あり。其内に薬師の木像あり。本地佛といふ。石佛も二三軀あり。里人は奥の院といふ。 [筑前続風土記拾遺]楯崎権現社楯崎山に在。所祭は大己貴命、少彦名命、飛龍権現。(熊の権現をいふといへり。)宗像縁起日、当神(宗像三神)対ニ異賊ー最初合戦地事、御楯於被築始處於楯崎止号須、其御楯成石今仁有之、軍仁有御勝勝皷於打玉留處於皷嶋止号須、其皷成石有于今仁矣(宗像神の異賊と御合戦といへるは、大巳貴神の荒振神等を伐従へ給ひしことをいへるなるべし)又一説三韓征伐(神功皇后)之後、御楯於此處仁留置玉云々。同末社記仁、楯崎神社(上高宮下符之内)に一也。同神事次第記に、楯崎明神11月2日祭之とも見えなり。今は9月29日を祭日とす。又春毎の3月8日より15日迄祭あり。社後の大岩に、天然の窟有。深サ2間、横5尺、口髙2尺5寸、奥院といふ。本地薬師佛を安置す。此佛あるによりて、世俗は此山を薬師山と云。昔は楯崎寺という寺有て、宗像家より四町の神田を寄らる。今に田字に残れり。近代眞言の修験者是を守る。山頂に楯石とてあり。本編に小楯崎権現在、社はなし、神體大岩也と記せるは、此石の事にや。此社に文化14年5月青柳種信の書ける縁起あり。 現況=平成10年に全修復工事が行われ、境内の諸建物も整理されている。渡半島の西側、美しい夕日の望まれる処として有名、半島の頂上に東郷神社がある。 |
旧社格 |
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祭神 |
大己貴神・綿津見神・少彦名神 |
時期 |
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特記事項 |
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出典・参考文献・HP |
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関係論文1 |
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関係論文2 |
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関係論文3 |
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