世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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日本全国の宗像神社・関連スポット

    件名 縫殿神社(ぬいどのじんじゃ)
    種別 神社
    所在地 福岡県福津市奴山813番地
    概要 日本書紀応神天皇37年春2月戌午朔、阿知使主都加使主両人ヲ呉ニ遺シ、縫女ヲ求ム。是ニ於テ呉王則兄媛弟媛呉織穴織ノ4女ヲ送ル。同41年春2月阿知使主等、呉ヨリ帰ル。筑紫国御使君之祖也トアリ。同紀雄略天皇ノ御世8年ニ、身狭村主青ト桧ノ隈ノ民使博徳トヲ呉ニ遺シ、10年ニ帰朝ス。又12年ニ呉ニ遺ハシ、14年ニ呉使ト共ニ帰朝ス。此時呉ヨリ、献スル手未才伎漢織呉織及衣縫呉媛弟媛等ヲ将テ帰朝トモアリ。社ノ巽ノ方ニ縫殿田ト云ヘル田地アリ。側ニ社アリシヲ、天明2年丑9月灰燼ス。其翌年ノ春、今ノ地ニ遷座ナシ奉ル。明治5年11月3日村社ニ被定。例祭1月1被、8月13日、9月28日。明治40年1月19日神饌幣帛料供進指定済。
    [宗像神社史]縫殿神社
    鎌倉期年中下行事の12月20日の條に、「奴山、大御供3膳、内忌子、祝詞祢宜、(付界物3膳、小神供3膳)小神供3膳、僧座、餅3枚、忌子、祝詞祢宜、稲2把、忌子、祝詞(付御酒、幣祝詞給之)」と御縁起に百八神の1つとして「縫殿明神」と見え、正平年中行事に、75社の1つとして「縫殿社」と同神事の條には「縫殿社、正月朔日神事、2月朔日神事、3月3日神事、9月9日神事、5月5日神事、8月彼岸神事、12月20日嶽祭神事、同日佛事」と見え、吉野期神事目録、應安神事次第にも「奴山縫殿大明神事」の次第を載せている。
    [筑前続風土記]縫殿大明神
    奴山村に在。宗像神事帳にも有。里民の言傅るには、昔神功皇后新羅を征し給ふ時、舟の帆を縫し神なりと云。今其神名について思ふに、是兄媛を祭れる神〇、いぶかし。兄媛の事は、宗像三社の所に日本紀を引て記せり。
    [筑前続風土記附録」奴山村
    縫殿大明神社社ダイミヤウジンガダケ(神殿方一間、拝殿二間三間、祭礼9月28日、奉祀小形〇部)本編に見へたり。村の東3町余、山の半腹にあり。彦火々出見尊、〇〇草葺不合尊二神を祭るといふ。田嶋の社伝には、建葉槌命を祭れりとあり。いふかし。鎮座の年歴詳ならす。社内に天満宮、祇園の石祠あり。比社に大般若経の写本を蔵あり。全本にはあらす。巻未に比丘明居士正忍、二階堂丹後次郎藤原憲廣と記せり。比丘明とは北條時頼の事なりといふ。比経巻は雲州美保明の社にありしが、羽高といふ僧、持ち来りて此社に寄附せしといふ。いかなる故に爰に納めしにや、いぶかし。又永享12年宗像大宮司代俊寄進の撞鐘一口あり。
    [宗像神社史]=思ふに当社は應神天皇の御代・阿知使主が呉国に使して縫工女を求めて帰朝し筑紫に至った時、天皇その中の兄媛を宗像大神に奉献せられた。爾耒宗像大神は機織の業に深い縁故を有せられ、織縫の技は大神への奉仕から起って、次第に四方に伝播したのであるが、当社はこれと関係のある神社に外ならない。明神帳に縫殿神社(舊村社)、津屋崎町大字奴山大明神嶽鎮座とする。現今、例祭は8月13日。社殿は流造、境内732坪。代子68戸である
    旧社格 村社
    祭神 大歳神・應神天皇・神功皇后・工女兄媛・弟媛・呉織・穴織
    時期
    特記事項
    出典・参考文献・HP
    関係論文1
    関係論文2
    関係論文3