世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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日本全国の宗像神社・関連スポット

    件名 津加計志神社(つかけしじんじゃ)
    種別 神社
    所在地 福岡県宗像市神湊951
    概要 不詳。明治5年11月3日村社=被定。昭和3年7月21日神幣白〇供進指定〇
    [宗像神社史]鎌倉期年中下行事、12月19日の條に、「湊つのかけ、護灯座主学頭、大御供三膳、内忌子・祝詞祢宜、(付果物小神供)御浦幣祝詞給」と御縁起に108社の1つとして「津加計志明神」と正平年中行事の神事の條には「津加計志明神神事、12月18日と見え、吉野期神事目録の12月18日の條には「綱懸明神」の祭礼のこと、應安神事次第、12月18日の條には、「湊社祭事」としてその次第を載せ、宝徳神事衣裳次第の12月1日の條には「縄懸浄衣」とある。
    [築全続風土記附録]津加計志神社。
    チヤウスヤマ、神殿1間4方拝殿2間2間半。石鳥居1基、奉祀深田兵部祭る所市杵島姫命也。里人は奥津宮也といふ。是本編に同し。社家には住吉大明神を祭るといふ。いぶかし。案るに此所田嶋と大嶋との間にあり。且辺津宮の舊社(浜宮)もあれは里人の説を是とすへし。いにしへは9月7日に祭礼ありしか今は9月15日に祭るとそ。社内に稲荷社あり。
    [築全続風土記]津加計志神社
    人家の南茶臼山に有。此地の産神也。所祭は市杵島姫命。相殿に宗像君遠祖吾田片隅命を併せ祀ると云。宗像御神事次第宗像社記録には、住吉三神也といふ(津加計志の社号に依て考れは、住吉三神をなれるへし。)此社宗像75社の其一也。宗像御神事次第に12月18日湊社祭事(津加計氣志と申、)御供同前(是は此前に吹浦社祭の所に、大御供三前とあるをいふなるへし。)歌同(是も上に同し。此時歌ふ詞は、稲庭上の條下に見えたり)上御前6本、2本25前次25前、酒大瓶2、有〇〇とみえたり。今は9月15日に祭をなす。此社むかしは村の乾草崎山の麓高き所に有。いつれの時にか、今の所に移せるならんといふ。其此に今も鳥居在。網掛社と云。此東辺は高岸にて、其下は船人の波戸なり。上右より澳津島大島田嶋三所の神事に供する船を繋く所なる故に、出入の船の守護の為に祭りし社なるへし。故に網繋の社といふなるへし。津加計志といふも網繋の略語ならん。(此浦より御贅の魚類を貢すること、御神事次第等に往々見へたり。)社内に稲荷の社有。田島の大宮司深田氏祭祀を司とる。
    1、境内神社2社
    稲荷神社祭神宇賀御魂神 由緒不詳
    地主神社祭神埴安姫命高龗神事代主命少名彦命素戔嗚命猿田彦命。由緒不詳 地主神社字堀田ヨリ移転、字西口貴船神社字鍋田字井牟田字上方同神社、及字西口字中町字下町蛭子神社、字下町妙見神社、字中町須賀神社、字同所猿田彦神社ノ各神祠移転ノ上、地主神当社へ合併。
    現況=昭和40年初期宮司永嶋直江氏逝去されてより、氏子中の願いあり当時宗像大社宮司久保輝雄氏受けられて、懸務社となる。(津加計志、辻八幡ノ2社)2社ともに現在も大社宮司が代表役員であり、大社神官が宮司より管理主任の辞令を受け、社頭管理を行っている。恒例の月次祭を始め、年中祭事祭典は各社共に立派に斎行されている。
    旧社格 村社
    祭神 宗像三柱大神
    時期
    特記事項
    出典・参考文献・HP
    関係論文1
    関係論文2
    関係論文3