世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

文字サイズ 標準 特大
背景色

日本全国の宗像神社・関連スポット

    件名 依嶽神社(よりたけじんじゃ)
    種別 神社
    所在地 福岡県宗像市田野1872
    概要 謂此依嶽大神ト云ハ、玉依姫命日向髙千穂ノ岳ヨリ、是国ニ移ラセ給ヒ、先ツ竈門山二住、又此依岳ニ移ラセ給ヒシト云。当郡六ヶ嶽ノ一ニシテ、所謂筑前ノ木綿間山是也。(今ヨコナマリテ湯川山ト云。)創立不詳。文明三年宗像大宮司氏鄕造営ノ棟札今在。天明七年十二月神殿産子ヨリ再建。住古ハ神楽、相撲、流鏑射等アリテ、祭典数度厳密ナリシ由。社録ニ神田御手氏ナトモ附奉シ、由テ今ニ其所ノ圃字残レリ。又字ニ角カ畑ト云所在。今ハ産子等形計リノ祭ヲス。細事ハ社記ニ在。明治五年十一月村社ニ被定。例祭九月九日。[宗像神社史]鎌倉期年中下行事、十二月十九日の條に「興里嶽、犬御供三膳、内忌子・祝詞祢宜、小神供六膳、内僧座三膳・祢宜三膳」、御縁起に百八神の一つとして、「興里嶽明神」と見え、正平年中行事に七十五社の一つとして「田野郷興里嶽社」同社神事の條に九月九日神事、同日佛事(仁王講会、迄用如常)、十二月十九日嶽祭神事、同日佛事同前、毎月朔幣、望祭神事(一年中廿四度)」とある。[筑前続風土記附録]興里嶽社(祭礼九月九日奉祀 入江大和) 産神也。村の東六町計、依嶽の麓にあり。祭る所、玉依姫命也。或神功皇后を祭るともいふ。拝殿に神功皇后、武内大臣、住吉明神、玉津姫命(未詳)を祭るといふ。此社宗像宮末社七十五社の其一也。宗像神事帳に正月十九日巳時興里岳明神祭、大御供三前、小御供六前、界物三膳、神酒三瓶子、御幣三、魚二掛、粢申米各一枚、祝詞云々。九月九日亦准之、神楽流鏑馬と有。今も眥形計りの祭をなす。古棟札あり。文明三天辛卯二月十日大檀那宗形朝臣氏鄕(宗像大宮司六十八代なり。六十三代氏信の嫡子。)と記せり。神宝に假面一つあり。古物なり。奉祀は入江氏也。境内社貴船神社有。また馬蹄石有。林中に古賀樹と云異木あり。  境内神社 六社  豊日神社 祭神 豊日別命、由緒不詳。明治十一年五月再建 大正十三年十月十八日許可を得テ、同村同大字字何田野無格社波折神社境内神社トシテ祭祀アリシヲ、同一祭神二付、合併合霊セリ。    貴船神社 祭神 高龗神、保食神、倉稲魂命、大日靈命、月弓命   由緒=明治二十年一月石川ヨリ移転。祭神若産靈命保食神、稲魂命八字前岳無格社大歳神社トシテ、祭神高龗神八字浜山無格社愛岳神社境内社貴船神社トシテ、又字向田野無格社波折神社境内社福地神社トシテ祭祀シアリシヲ、大正十三年十月十八日許可を得テ合併、同時合靈ス。例祭三月社日。   愛岳神社  祭神=保食神、大己貴命、少彦名命  由緒=大正十三年十月十八日許可ヲ受、字濱山愛岳神社合併    波折神社⑩に記せし神社也。   須賀神社  祭神=素盞鳴命、国常立命  由緒=社○二日ク、享保ノ初大疫流行十年二及ヘトモ止ズ。死失頗ル多シ。擧村大ニ患ヒ、此ノ神ニ懇願祭祀ヲ厚クセシカワ、疫魔消散シ得テ、字名見ヨリ移転合併シ、又字何田野(無)波折神社境内社須賀神社祭神素盞鳴命ヲ合霊ス。祭日七月十五日。    森俊神社  祭神=大国主命・岩筒男命・岩筒女命・菅原神・高龗神・素盞鳴命・宗像三女神   由緒=瀬戸ニアリ。産神ナリ。宗像七十五社ノ其一ツ。此神鼠ノ害ヲナスヲヨク鎮除シ玉フトテ、遠近ヨリ実り祈ルモノ多シ。其報賽、ニハ鼠ノ絵ヲ書テ掛ル。依テ鼠ヶ森云フ。創立年月不詳。天明八年三月氏子ヨリ再建。祭神菅原神ハ同村同大字瀬戸無格社天満神社トシテ、祭神素盞鳴命ハ同境内神社須賀神社盞トシテ、祭神宗像三女神ハ同境内神社厳島神社トシテ、祭神高龗神ハ同字無格社貴船神社トシテ祭祀アリシヲ大正九年二月廿五日許可ヲ得合祀シ、字向田野無格社波折神社、愛岳神社、境内社厳島神社、祭神市杵島姫命ハ大正十三年十月十八日許可を得テ、同一祭神二付合霊セリ。祭日十二月十九日。   現況=⑩波折社の調書同じである。前書(風土記附録)の中にある境内の古賀樹と云う異木」であるが社殿右側にある二木の「バクチノ木」ではないだろうかと思う。樹皮がハガレてハダカになる処から「一名バクチノ木」と云ばれ、筑前大島中津宮の神緑にも多い木である。詣でた五月末、樹皮は一枚の皮の様に取られていた。正に裸の様であった。
    旧社格 村社
    祭神 氣長足姫命・玉依姫命・武内大臣
    時期
    特記事項
    出典・参考文献・HP
    関係論文1
    関係論文2
    関係論文3