世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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日本全国の宗像神社・関連スポット

    件名 熊野神社(くまのじんじゃ)
    種別 神社
    所在地 福岡県宗像市王丸622
    概要 もと熊野権現と称したが、明治初年、熊野三所の神を祀るにより、社名を熊野神社と改められ、同年郡内27ヶ村の郷社(宗像郡内唯一)に列せられた。宗像神社との関係は、古く宗像5社の一つに班するので、同7年本社の境外摂社に編入せられたが、同18年故あってその関係を解かれ、もとの郷社に復した(神社史上巻)

    縁起ニ日ク、奉安許能美山(一書許斐)本朝鎮護夷敵降伏之為メ祈。文徳天皇之御宇天安元丁丑年、紀州牟婁郡之従本宮勧請、此地尓斎祭也、社者北面也。宗像社記ニ日、許斐神社、奉與胸形神明依在本朝鎮護異国征罸之誓約、文徳天皇御宇天安元年従紀州本宮勧請。霊験異干他、諸人之帰依越世云々。或日熊野権現者、居ト於西海之辺畔、加護東城之仙洞、加之率五千九百余之従神、凌ニ千余萬之波濤、振上御手長、害数千人の異賊、振下御手長、滅数千人之凶徒云々。
    又豊前国田河郡彦山縁起云、田心姫命、湍津姫命、市杵嶋姫命、此三女神奉日神勅、降当国宇佐嶋、後移此上也、日子之号因茲樹焉、受大己貴命更娶田心姫命、湍津姫命、爲鎮座此山北嶺、因称此山地主焉、干時伊弉册神、速玉男神、事解男神三神、爲三鷹自東飛来、止干此峯、三鷹変作石像、頭身足翅皆備リテ如眞見在、大己貴神譲此嶽於三神云々。
    社家伝ニ日、許能美者此所ノ地名ニシテ、社号に被非ス。山号ハ金魚山ト号ス。祭祀○二日、此神祭禮年中二十余度有り。大祭ハ正月六日七日踏歌ノ祭ト云フ。歌有り。
    チハヤフルコヒノヤシロノユフタスキカケテノノチハタノシカリケリ
    五月十四日、同八月十四日御輿迎ト云事有。郷々村々ヨリ許斐ノ御輿ヲ迎ヘテ、田嶋宮ニ招ク。夫ヨリ惣社及第二第三ノ神輿ト共ニ、江口ノ五月濱に神幸アリ。織幡神社ノ神輿モ、爰ニ渡御有。同十五日寅時ニ還御也。本宮ヨリ十時許艮方ニ、頓宮跡有リ。今松ヲ以テ標トス。礎尚ホ残レリ。神幸事、宗像神社祭事記ニ委シ。九月九日奉射ノ祭有リト云フ。宗像大宮司代々信仰ノ神田ヲ寄付シ、祭祀ヲ営ム。今祭儀漸々ナリ。又天正年間小早川隆景、此国ヲ領セシ時、最此神ヲ崇敬シ水田百丁ヲ寄付シ、又神假面ヲ奉納有り。山上ヨリ南方ニ、往昔馬場ノ跡アリ。横十間、長サ二町余。馬場先山池アリ。廣サ三畝歩余。廟社ノ上ニ高サ二十間許ノ岩有リテ、社ノ上ニ覆ヒ懸ル。此岩上ニ井有リト云フ。深秘ニシテ見ル事禁ス。往昔ハ社家十貮戸有リテ、山ノ半途又ハ麓ニ居住シテ、祭祀ヲ勤シカ、近キ頃ヨリ村々ニ散離シテ一家モ残ラズ。社造営ハ郡中ノ負擔ナリ。明治五年十一月三日郷社ニ被定。(宗像郡史上編)
    現況=許斐山入口にある遥拝所(六社宮)には宗像三神と王子、許斐権現(熊野神社)とが合併されている。
    登山参道途中の鳥居石燈籠には熊野神社の字があり、九合目頃に熊野宮があり裏に巨岩が聳えている。さらに頂上には王子神社の石祠が祭られている。現在奉仕される祭典はこの王子神社前で斎行されている。しかし王子・許斐(熊野)社は一緒になっている様な感じである。
    旧社格
    祭神 事解男命・速玉男命・伊弉册命、宗像三女神、織幡神
    時期
    特記事項
    出典・参考文献・HP
    関係論文1
    関係論文2
    関係論文3