日本全国の宗像神社・関連スポット
件名 |
宮地嶽神社(みやじたけじんじゃ) |
種別 |
神社 |
所在地 |
福岡県福津市宮司元町7−1 |
概要 |
明治10年9月3日夜社殿焼失。同13年5月本殿幣殿新営。当社縁起2日、宮地嶽大明神勝村大明神、勝頼大明神、所祭阿部相丞、藤高麿、藤助麿云々。伝説に往昔神功皇后新羅ヲ征し給時。宮地岳の山上にして宗像三柱大神を祭らせられ遂に新羅に勝て還幸有しに依りて宗像大神を奉祭し給い、後に神功皇后を配祝す。勝村大明神乃ち是なり。此神号は新羅を征し勝を得給いしを以て称せし神号にして、社も古へ山上に在りしを、後ち移転せりと。又近村勝浦村にも勝浦岳神社有。祭神則神功皇后にして勝浦と云地名も、異国を伏し給ひしによる事。風土記拾遺にも見ヘタレハ、勝村大明神は神功皇后なる事疑なし。 明治5年11月3日村社に被定。同15年7月宗像神社の摂社に列せらる。例祭1月10日、4月5日、9月22日。明治32年4月27日県社に被列。 1、境内神社 4社 須賀神社 由緒不詳 例祭陰暦6月15日 菅原神社 祭神 菅原神・高龗神・闇龗神・少童神加具槌神・保食神・宗像三女神・和多津見神) 由緒不詳 明治32年4月28日境内神社、龗・愛宕・五穀・宗像・海積各神社の祭神本社へ合祀。 五穀神社 由緒不詳 南郷村大字野坂字恵下に祭祀しありしを昭和8年7月3日許可を得て合祀。 貴船神社 由緒不詳 南郷村大字野坂字恵下に五穀神社境内神社として祭祀しありしを昭和8年7月3日許可を得て本社合併。 〔筑前風土記拾遺〕宮司村 宮地嶽大明神、村中小高き山の上にあり。石段数十級を登る。古へは宮地岳の山上にあり。今其跡を古宮といふ。其所に清水有。禊の池と云。昔社有し時の御供井なりしといふ。宗像宮社記曰、宮地嶽明神内2社は、宗像三所勝村大明神と見へたり。社説には中殿に阿部丞相(宮地嶽大明神)左右は藤高麿(勝村大明神)藤助麿(勝頼大明神)三座也といふ。 此の三神は神功皇后の韓国言伏給ひし時、功有し神也といふ。諸所の縁起に見へたり。宗像75社の一つにして、正月朔日神事、3月3日、9月9日、節供神事、12月20日嶽祭神事、二季彼岸神事、毎月朔幣望祭神事(一年中廿余度)などあり。乱世以降廃絶して、今は9月22日形計の祭礼を行ふ。村中に粢田、御供田、九拝田など、古への神田残れり。天正12年大宮司氏貞の寄進せられし鰐口有しが今はなし。当所の修験吉祥院奉祀す。社内に菓御前社、祇園社天満宮、観音堂二宇あり。神社附近古墳より出土したる物にして、文部省より国宝に指定されたるもの、凡左の如し、昭和11年9月11日指定のもの 1、金銅製鞍矯覆輪金具附金銅製尾錠三個一対 1、金銅製壷鐙一対 1、金銅製鏡板付轡一個分 1、金銅製杏葉二個 1、金銅製透彫金具残闕一個 1、金銅製頭椎大刀柄頭(小)一個 1、金銅製頭椎大刀柄頭(大)一個分附金銅製鍕残闕一個(刀身残片三個) 1、緑瑠璃丸玉二百十七個一連 1、緑瑠璃丸玉四十七個分 1、蓋付銅椀一個 1、銅盤残闕一個 1、長方形緑瑠璃板(三片)一枚分 1、宝球形緑瑠璃板一枚 1、三角形瑠璃板一枚附緑瑠璃板残片八個其他併出物 以上拾五點 昭和14年10月25日指定のもの 瑠璃骨蔵器一個 銅壷一個 陶壷一個 以上三點 現況 現在宮地嶽神社は、神職14名を要し全職員30余名が奉仕する別表神社で全国有名神社として知られている。特に正月等の人出は西日本でも十指に数えられる参拝者で賑わう神社である。当宗像大社の摂社(明治15年)に列せられており、春秋の大祭には幣帛が捧げられている。 四季の大祭を始め、年中行事は月毎に開催され、寒桜下の野だて(お茶会)、ぼたん、花しょうぶ等花園も多く、整備された神域は、参拝者の足音がたゆることなき、有名神社である。 |
旧社格 |
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祭神 |
多紀理毘賣命・狭依毘賣命・勝頼神、多紀都比賣命・息長足比賣命・勝村神 |
時期 |
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特記事項 |
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出典・参考文献・HP |
https://www.miyajidake.or.jp/ |
関係論文1 |
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関係論文2 |
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関係論文3 |
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