世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

文字サイズ 標準 特大
背景色

日本全国の宗像神社・関連スポット

    件名 氏八幡(満)社(うじはちまんしゃ)
    種別 神社
    所在地 福岡県宗像市田島2241
    概要 『宗像神社史』宗像記第四に、氏八幡社の創立の由来について、大宮司氏貞がその継母と姉菊姫との怨霊を慰めるために奉祀したものであるとし、「神に祝ひ奉て、怨霊を慰めんとて、田島の里にやしろを建て、八幡宮と祝ひける。宗像の氏女を祭れば、即氏八幡と号し奉る。」とある。続風土記・同附録・同拾遺にも同様のことが見えている。
    明細帳によると、氏八幡社(無各社)は、田島村字上殿鎮座である。現今、氏八幡神社。例祭は四月二十三日・十月二十三日。社殿は本殿(流造)・幣殿・拝殿。
    境内二七二坪。氏子一二〇戸である。
    (新明細帳)ちなみに当社の社名については、寛政元年十二月の棟札等に「氏八満社」の称が見えている。なほ当社には古来邊津宮本社と関係の深かった小字山下の中殿神社(旧無格社・吾田片隈命)を大正三年に、小字片脇の貴船神社(旧無格社・高靇神)と小字北付の稲庭上神社(旧無格社・保食神)とを大正四年にそれぞれ合祀している。
    (筑前続風土記附録)田島村
    氏八幡ヤマジタ、大宮司氏貞か時、正氏か後室の霊を祭れり。氏八幡と称せるは不敬なり。氏貞か所為心得さる事なり。社の傍に正氏息女の霊を祭る石祠もあり。
    (筑前続風土記拾遺)田島村
    氏八幡社上高宮より東方山の六・七分許に在。七十七代大宮司正氏の室、七十八代氏雄の室の霊、同?侍女四人をも従神として祭る。山宗属によりて、永禄八年、大宮司氏貞を建立す。
    (現況)玄海町田島字上殿の上高宮麓下に鎮座の社で、現在まで宗像家が管理している社である。
    春・秋の例祭には「お下がり」と呼ばれる神幸があり、御輿が辺津宮に参拝される。地元氏子中奉仕による、笛、太鼓の楽が奏上される。又氏子中の家々には「今月今夜」と書かれた御神燈が軒下に飾られる風習が残っている。
    思ふに、菊姫様達の神霊をなぐさむ事から始まったのであろうと推定する。
    現在、「氏八満神社」と記されている神社名も寛政の頃から幡から満に変っている、これも氏貞の不敬を正したのであろうか。
    旧社格
    祭神 宗像大宮司 宗像朝臣正氏室・息女菊姫侍女四人の霊・宗像大宮司清氏霊・吾田片隈命・高靇神・保食神
    時期
    特記事項
    出典・参考文献・HP
    関係論文1
    関係論文2
    関係論文3