日本全国の宗像神社・関連スポット
件名 |
内浦若宮(若宮神社)(うつらわかみや) |
種別 |
神社 |
所在地 |
遠賀郡岡垣町大字原865付近 |
概要 |
『宗像神社史』内浦若宮(若宮神社) 御縁起に百八社の一つとして「内浦若宮」と見え、正平年中行事に七十五社の一つとして「内浦若宮社」と、同神事の條に「内浦若宮明神、正月朔日神事、三月三日神事、五月五日神事、九月九日神事」と見え、吉野期神事目録、御九日神事について「内浦若宮十一月九日」とある。延宝末社帳には「内浦若宮 天夷鳥命」といい、続風土記の内浦の條には、八月十五日、当地の亀石大夫が宗像本社に到り、猿楽を奉仕する事を述べている。 明細帳によると遠賀郡岡垣町大字内浦字高入に若宮神社(旧村社、祭神 仁徳天皇・仲哀天皇・神宮皇后。例祭は十月十七・十八日)とあるのをこれとする。現今例祭は十月十七・十八日。 社殿は本殿・拝殿・幣殿。境内は三五〇坪余り。氏子は六十三戸である。 『大宰管内誌』上巻 筑前之十六(遠賀郡上) 内浦若宮社[正平二十三年宗像祭祀記]に内浦、若宮明神正月朔日神事、三月三日神事、五月五日神事、九月九日神事云々 [宗像宮末社記]に内浦若宮などあり、此社ノ事いまだ委しくも考へず、(ある人の説に)〔高倉神社の旧記〕に手野ノ若宮とあるはなすはら内浦ノ若宮の事なり、内浦は昔手野村の内なればなりといへり此事いかがあらむなほよく考ふべし。 (現況)国道四九五号線の垂見峠を越えて岡垣町に入ると、最初の交差点「芹田」に出る。この信号を左折し波津に向かって約一〇〇メートル走ると右側に「内浦小学校」がある。この小学校校庭北側に「若宮神社」がある。創立百年記念碑の建つ当校は明治初期、若宮社の境内に建ったのであろう。校庭には往古を偲ぶ大楠の巨木が二、三のこっている。社はよく管理されている様だ。境内の雑木林も子供『宗像神社史』内浦若宮(若宮神社) 御縁起に百八社の一つとして「内浦若宮」と見え、正平年中行事に七十五社の一つとして「内浦若宮社」と、同神事の條に「内浦若宮明神、正月朔日神事、三月三日神事、五月五日神事、九月九日神事」と見え、吉野期神事目録、御九日神事について「内浦若宮十一月九日」とある。延宝末社帳には「内浦若宮 天夷鳥命」といい、続風土記の内浦の條には、八月十五日、当地の亀石大夫が宗像本社に到り、猿楽を奉仕する事を述べている。 明細帳によると遠賀郡岡垣町大字内浦字高入に若宮神社(旧村社、祭神 仁徳天皇・仲哀天皇・神宮皇后。例祭は十月十七・十八日)とあるのをこれとする。現今例祭は十月十七・十八日。 社殿は本殿・拝殿・幣殿。境内は三五〇坪余り。氏子は六十三戸である。 『大宰管内誌』上巻 筑前之十六(遠賀郡上) 内浦若宮社[正平二十三年宗像祭祀記]に内浦、若宮明神正月朔日神事、三月三日神事、五月五日神事、九月九日神事云々 [宗像宮末社記]に内浦若宮などあり、此社ノ事いまだ委しくも考へず、(ある人の説に)〔高倉神社の旧記〕に手野ノ若宮とあるはなすはら内浦ノ若宮の事なり、内浦は昔手野村の内なればなりといへり此事いかがあらむなほよく考ふべし。 (現況)国道四九五号線の垂見峠を越えて岡垣町に入ると、最初の交差点「芹田」に出る。この信号を左折し波津に向かって約一〇〇メートル走ると右側に「内浦小学校」がある。この小学校校庭北側に「若宮神社」がある。創立百年記念碑の建つ当校は明治初期、若宮社の境内に建ったのであろう。校庭には往古を偲ぶ大楠の巨木が二、三のこっている。社はよく管理されている様だ。境内の雑木林も子供たちの自然教室として利用されるのであろう。鎮守の森裏は周防灘の海岸が広がっている。 |
旧社格 |
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祭神 |
仁徳天皇・仲哀天皇・神宮皇后 |
時期 |
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特記事項 |
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出典・参考文献・HP |
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関係論文1 |
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関係論文2 |
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関係論文3 |
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