世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

文字サイズ 標準 特大
背景色

宗像地域の文化財

  • ■──市指定文化財「増福院文書」の中の1巻、「山田増福院御縁起」の一場面。石松但馬守がうそをつき菊姫たちの屋敷に上がりこみ、暗殺の隙をうかがっているところ。/
  • ■──菊姫の怨霊が取り憑き、床に伏す氏貞の母の姿。/
  • ■──「山田増福院縁起」。/
  • ■──市指定史跡「宗像氏貞の墓地及び石塔」。最後の宗像大宮司であった氏貞が葬られたとされています。/
名称 宗像の伝説「菊姫の怨霊」
種別
所在地 宗像市山田700 増福院
形態
調査年
保存状況
出土遺物
時期
説明 天文年間の末頃(一五五〇年代)、宗像大宮司家では、相続をめぐってお家騒動が起こっていました。当時、宗像の領地は周防(現山口県)の大内義隆によって管領され、宗像大宮司家第七十四代の氏佐は周防に出仕しておりました。氏佐の子、第七十七代・正氏には、宗像家の山田の館に、正室の山田局と菊姫という一人娘がありましたが、大内家の重臣、陶晴賢の姪・照の葉を第二夫人とし、鍋寿丸(後の第七十九代・氏貞)と菊花媛(後の色姫)という二人の子を生ませます。お家騒動は、こうした正室と第二夫人との勢力争いから起こったものでした。  
 陶晴賢は、宗像家乗っ取りを計画。照の葉と鍋寿丸を蔦ケ嶽城(城山)に入城させます。それに対し山田局は、菊姫の亡くなった婚約者・氏光の父、氏続を主将とし、白山城に立てこもります。天文二十一年(一五五二)、ついに照の葉は、山田局と菊姫暗殺のため、宗像大宮司家の重鎮・石松但馬守ら三人を山田の館に差し向けます。「菊姫だけは助けて」との山田局の懇願むなしく、山田局と菊姫、そして四人の侍女は殺害されます。さらに、氏続も討ち取られ、氏光の弟・千代松丸も母とともに殺されました。
 しかし、菊姫らの百か日の法要が終わった頃から、殺害に加担した一統に異変が起こります。女のすすり泣く声が聞こえる、小川の石が赤く染まる…。やがて三人のもとへ、六人の幽霊が現れるようになり、三人とその家族らは相次いで怪死します。
 永禄二年(一五五九)の七回忌まで、祟りによって亡くなった者は八十三人に及びました。氏貞は山田の館に近い場所に増福院を建立し、六地蔵を刻ませて六人の霊を祀ります。また、千代松丸母子のためにも、山口村(現・宮若市)に円通院を建立して供養しました。ようやく怨霊がおさまったのは、六地蔵の奉納供養が終わった後だったと伝えられています。
 その後、氏貞は天正十四年(一五八六)、四十二歳で死去します。氏貞には男子の跡継ぎがおらず、宗像家は氏貞を最後に絶えることとなりました。
法量・規模・面積
所蔵
参考文献 宗像市 2009『宗像遺産 暮らし遺産編』
図録ページ