宗像地域の文化財
名称 |
宗像の伝説「菊姫の怨霊」 |
種別 |
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所在地 |
宗像市山田700 増福院 |
形態 |
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調査年 |
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保存状況 |
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出土遺物 |
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時期 |
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説明 |
天文年間の末頃(一五五〇年代)、宗像大宮司家では、相続をめぐってお家騒動が起こっていました。当時、宗像の領地は周防(現山口県)の大内義隆によって管領され、宗像大宮司家第七十四代の氏佐は周防に出仕しておりました。氏佐の子、第七十七代・正氏には、宗像家の山田の館に、正室の山田局と菊姫という一人娘がありましたが、大内家の重臣、陶晴賢の姪・照の葉を第二夫人とし、鍋寿丸(後の第七十九代・氏貞)と菊花媛(後の色姫)という二人の子を生ませます。お家騒動は、こうした正室と第二夫人との勢力争いから起こったものでした。 陶晴賢は、宗像家乗っ取りを計画。照の葉と鍋寿丸を蔦ケ嶽城(城山)に入城させます。それに対し山田局は、菊姫の亡くなった婚約者・氏光の父、氏続を主将とし、白山城に立てこもります。天文二十一年(一五五二)、ついに照の葉は、山田局と菊姫暗殺のため、宗像大宮司家の重鎮・石松但馬守ら三人を山田の館に差し向けます。「菊姫だけは助けて」との山田局の懇願むなしく、山田局と菊姫、そして四人の侍女は殺害されます。さらに、氏続も討ち取られ、氏光の弟・千代松丸も母とともに殺されました。 しかし、菊姫らの百か日の法要が終わった頃から、殺害に加担した一統に異変が起こります。女のすすり泣く声が聞こえる、小川の石が赤く染まる…。やがて三人のもとへ、六人の幽霊が現れるようになり、三人とその家族らは相次いで怪死します。 永禄二年(一五五九)の七回忌まで、祟りによって亡くなった者は八十三人に及びました。氏貞は山田の館に近い場所に増福院を建立し、六地蔵を刻ませて六人の霊を祀ります。また、千代松丸母子のためにも、山口村(現・宮若市)に円通院を建立して供養しました。ようやく怨霊がおさまったのは、六地蔵の奉納供養が終わった後だったと伝えられています。 その後、氏貞は天正十四年(一五八六)、四十二歳で死去します。氏貞には男子の跡継ぎがおらず、宗像家は氏貞を最後に絶えることとなりました。 |
法量・規模・面積 |
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所蔵 |
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参考文献 |
宗像市 2009『宗像遺産 暮らし遺産編』 |
図録ページ |
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