世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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宗像地域の文化財

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名称 宗像弁・宗像の地名
種別
所在地
形態
調査年
保存状況
出土遺物
時期
説明 〈宗像弁〉
昭和初期までの生活圏が博多に接近していたこともあって、宗像ことばは博多ことばに似ているとされています。昭和四十年代に入ると転入が多くなり各地方の方言が混ざり合います。加えて標準語も浸透。近年、宗像地方の特徴的なことばを聞く機会も少なくなりました。
○あくせうつ/閉口する、困却する○あけらん、あけろんこ/あけっぴろげ、無頓着○あごたんがおおい/口数が多い○あらかましい/大ざっぱな、粗雑で荒々しい○いいをもどす、てまもどす/労働交換、相互に働き合う○いっけと/すぐに○いさぎゅう/たいそう○うだく/抱く○うちくりかやす/ひっくり返す○うらめしい/いやらしい、汚い○うんだ/自分、俺○えーずう/甚だ、たいそう○えらかす/からかう○えんばり/クモの巣○おまんがい、おれんがい/お前の家、私の家○かいかいとなる/すっきりする○がんがらがん/何もない○からげる/気を引き締める○きゃあたいまあ/あらまぁ驚いた○ぐぜる/苦情を言う、駄々をこねる○くやす/崩す○こうらけねえ/随分たくさん○こずく/咳をする○こすっぱくない/けち、意地悪い○こっけんころりん/みんな、全部○こんぼ/つぼみ○こんげどうされが/この外道者が○さいたらまわす/いらぬお世話をする○しいしらさむい/とても寒い○ずくぼ/つくしんぼ○すかぶら/怠け者○ぜんしょういう/無理を言う○そうよ/みんな、全部○そそくる/繕う○そのーて/連れだって○だつだつする/落ち着かない様子○てんばくろう/おてんばさん○てーことまわす/手に余る、手こずる○どおしこおし/どうやらこうやら、何とか○とぜんない、とぜない/さびしい○とんぼく/頂上○とごえる、とごえまわる/騒ぐ○なおる/座につく○なぐれる/放蕩する、怠ける○ねえ/常に○ねき/近く、付近○ののこ/綿入れ着物○はみ/家畜の飼料○ひょうしむない/とんでもない○ひっちこっちゃ/反対、あべこべ○ひんず/余分○ふ/運○ふうたら/馬鹿者○ふうくる、ふうけもん/おどける、おどけ者○ぶえん/生魚○ふつ/よもぎ○ふくろうどる/はいつくばっている○ぼうぶら/カボチャ○もうがんこ/つらら○もま/ふくろう○やぜない/うるさい○よこい/休み、休日○んんで/いいや(否定)
〈宗像の地名〉
 宗像には古くからの地名が数多く残っています。その中のいくつかの由来を追ってみました。
宗像/「古事記」「日本書紀」では胸肩、宗形などと書か   れ、中世以降に宗像と書かれるようになりまし   た。その起こりには諸説あり、沼沢地に接する集     落を意味するムネ(高くなった所)・カタ(方)      や、ヌマ(沼)・カタ・ガタ(潟)が変化したか      らという土地のようすに由来する説、       宗像三女神の降臨・鎮座に際して、その   形代を奉祭したことから身の形、身の像と称し   たという説、また、海を業としたムナカタ族が  胸と肩に入墨をしていたという説などがあります。
大島/文字通り大きい島で、かつ宗像大社の中津宮が鎮座していることにより尊称して「大いなる島」の意を込めて古来からこう呼ばれています。
赤間/古い文献などには「赤間」の地名を「赤馬」と書いたものがよくあります。一説には、神武天皇が日向から大和へ向かう際に、露払いの神様(八所宮の神様とも言われる)が赤い馬に乗って姿を現わし、人々を指揮した所であるため赤馬と呼ばれ、のちに赤間と書くようになったと言われています。
鐘崎/昔、大陸から運ばれてきた大梵鐘が、岬近くの海中に沈んだという伝説にちなんだものといわれています。鐘の引き揚げに成功したものはなく、引き揚げる者には祟りがあるとの言い伝えもあります。また、『万葉集』や『日本書紀』などに「鐘」ではなく「金」と書かれており、上八金山が近いことから「黄金の岬」の意味ではないかとの説もあります。
上八/上入と書いてカウジュと呼んでいたものを、上八と誤って書かれ、読み方も訛ったと考えられています。荘園があったことから、年貢をお上(領主)に納入するという意味から生じたのではと推察されています。また、「八」を条理制の「条」の変化したものと考えると「高地の田畑」ととれるという説もあります。
泊/地島は古くは泊島と呼ばれていました。赤間関から博多までの間は良港に恵まれず、そこを航海する船が嵐や風待ち(風がなく帆をあげられないとき)に、この島の港で停泊していたためと言われています。現在では南部の港のある地区を泊と呼んでいます。
法量・規模・面積
所蔵
参考文献 宗像市 2009『宗像遺産 暮らし遺産編』
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