世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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宗像地域の文化財

  • ■──大島弥一郎碑。享保年間(1716〜1735)の記録によると、その頃の大島の人家数は三百戸。享保16年(1731)の大飢饉での餓死者は42人とされています。/
  • ■──重高が投獄されたことを知った島民は、中津宮に籠もり、二夜三日の祈願をして無事を祈りました。それ以来、二夜三日の報賽は今に伝えられています。/
名称 大島弥一郎重高
種別
所在地 宗像市大島 大島総合開発センター
形態
調査年
保存状況
出土遺物
時期
説明 江戸時代、飢饉で滅亡寸前だった大島を救ったとして、宗像郡誌にその名を残す義人・大島弥一郎重高は、当時、陸(農業)と浦(漁業)を取り仕切る庄屋でした。
 享保十六年(一七三一)と元文元年(一七三六)、相次ぐ飢饉が島を襲います。重高は島民救済のため、全財産を投じ、藩に減税を直訴します。当時、藩の掟に背くと投獄・処刑されるのが常でした。しかし、幸いなことに直訴は聞き入れられ、重高氏は処刑されることなく、翌年には減税となって島民の生活は救われました。
法量・規模・面積
所蔵
参考文献 宗像市 2009『宗像遺産 暮らし遺産編』
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