世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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宗像地域の文化財

  • 朝町竹重遺跡は、平成6年(1994)に史跡公園として整備されました。/
名称 朝町竹重遺跡
種別
所在地 宗像市朝町2464—2 朝野公園
形態
調査年
保存状況
出土遺物
時期
説明 朝町竹重遺跡は、朝野団地二号公園のすぐ東側、靡山から北に延びる標高四十m前後の丘陵上に分布します。
 弥生時代中期(約二千年前)を中心とする百五基以上の土壙墓と木棺墓からなる墳墓群で、地形からも、連綿と築かれた墳墓の数からも、この地域の奥津城(墓域)にふさわしいといえます。
 なかでも、弥生時代中期初頭に築かれた二十八号墓は、墓壙内に割竹形の木蓋を架けたと考えられる木棺墓で、特殊な構造の墳墓として注目されます。また、重要な出土遺物としては、細形銅矛、細形銅戈、 製内行花文鏡などがあります。
 弥生時代は、石器や金属器を生産する専門の職人集団が形成され、社会の中に分業や流通が定着していく時代でもあります。青銅器の生産は弥生時代中期の初めには始まっていたと見られ、宗像地域では、津屋崎の勝浦高原遺跡から銅鐸の鋳型の未製品が出土しています。
 宗像地域における青銅器を副葬する墳墓遺跡は、肥沃な水田地域である光岡、曲、野坂の周辺に位置する丘陵上に集中しており、農業生産力の高い地域集団の豊かさを象徴しているといえます。
 また、銅矛の矛先だけが出土していることは、武器である矛の先が体に突き刺さった状態で被葬者が埋葬されたことを示しています。その背景には、稲作に不可欠の水などを巡って、小規模集落同士の争いがあったと考えられます。本遺跡が営まれた弥生時代中期ごろは、もっとも争いの多い時代だったといわれ、被葬者の状態を考え合わせると、本遺跡の墳墓数の多さも理解できます。
法量・規模・面積
所蔵
参考文献 宗像市 2009『宗像遺産 文化遺産編』
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