世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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宗像地域の文化財

  • 朝町山ノ口遺跡から出土した鉄鉗(上)と鉄槌(下)。/
  • 鋸(宗像市城ヶ谷古墳群・大井三倉遺跡他より出土)。鉄器生産がもっとも盛んだった6世紀代、鋸は宗像地域の中小規模の円墳に集中して出土し、注目される。/
  • 鉄 (福津市福間割畑遺跡1号墳より出土)。沖ノ島正三位社前遺跡の品と同類のもの。/
名称 朝町山ノ口遺跡 鍛冶工具
種別
所在地 福岡県太宰府市石坂4—7—2 九州国立博物館
形態
調査年
保存状況
出土遺物
時期
説明 朝町山ノ口遺跡は、釣川の支流である朝町川上流域に位置する二十二基の古墳群で、すべての墳墓が調査されており、造墓集団の動向や墳墓の移り変わりが推定できます。
 外来の先進技術である鉄器生産の痕跡は、集落遺跡内の鍛冶炉や鉄滓、古墳から出土する鍛冶工具(鉄槌、鉄鉗、鉄鏨など)などによって知ることができますが、この山ノ口遺跡の五号・六号墳からは、国内最大級の鉄鉗と鉄槌が出土しています。
 鉄鉗は握り部の一部が欠けていますが、全長四十七cmの完成品で、結合部の中心から鋏部の先端までは十四・六cm。鋏部がかみ合うように結合部で曲げが入れられ、握り部の中ほどにはねじりが加えられています。また、鉄槌のうち、大型のものは完成品で、全長二十一・四cm、最大幅六・三cm、最大厚五・三cm、重さ三千六百五十グラムを測り、身の上下端には敲打による変形が見られます。
 宗像地域の内陸部に六世紀に築造された本遺跡から鍛冶工具が出土したことは、この時期に鉄器生産を専業とする技術集団が存在したことを示唆します。また、沖ノ島の祭祀を通じて大和王権と交流する中で台頭した宗像氏が、いち早く外来の先進技術を受容し、専門の工人集団を配置・統括していたと考えられます。
 鉄器の製作は弥生時代中期前半に北部九州で始まったと考えられており、宗像地域は鉄及び鉄器生産の実態を解明するうえで極めて重要な地域といえます。本遺跡自体は宅地造成により消滅しましたが、平成五年(一九九三)、現地に説明板が設置されています。
法量・規模・面積
所蔵
参考文献 宗像市 2009『宗像遺産 文化遺産編』
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