世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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宗像地域の文化財

  • 田久瓜ケ坂遺跡円筒棺/
名称 田久瓜ケ坂遺跡円筒棺
種別
所在地 福岡県太宰府市石坂4—7—2 九州国立博物館
形態
調査年
保存状況
出土遺物
時期
説明 田久瓜ヶ坂遺跡は宗像市のほぼ中央部、赤間小学校の西側丘陵上に位置し、釣川に向かって北西に延びる丘陵上に墳墓が分布していました。
 住宅地造成にさきがけ、宗像市教育委員会によって平成八年(一九九六)〜九年(一九九七)にかけて、発掘調査が行われました。
 その結果、五世紀前後の古墳時代の前方後円墳一基や円墳などの古墳八基をはじめ、石棺墓、石蓋土壙墓、土壙墓、中世の集石墓、弥生時代後期の竪穴住居跡など、多彩な遺構が検出されました。また、古墳からは、鉄斧、鉄鋤先、鉄ヤリガンナ、鉄刀子などの農工具や、鉄刀、鉄剣、鉄鏃などの武器、ガラスやヒスイ製の玉類、杏葉、鐙などの馬具が出土しました。
 一号墳(四世紀・前方後円墳)は、もっとも南側の一区の中心遺構で、全長三十二m、後円部径二十m、前方部幅十一・四m、くびれ部の最小幅七m、後円部の高さ三・一m、前方部先端の高さ〇・四mを測り、後円部には四基の埋葬施設が築かれていました。
 なかでも注目を集めたのが、第三主体部に使われていた「円筒棺」と呼ばれる素焼きの土器棺です。
 円筒棺は、畿内周辺や吉備、東海、北関東地域に分布の中心がある墓制で、これまでに約三十例が確認されていますが、九州では初めて発見されたもので、他に例がありません。また、なぜ宗像の地にもたらされたのかの詳細も分かっていません。
 田久瓜ヶ坂遺跡一号墳の第三主体部に使われていた円筒棺は、長さ二・五m、直径〇・七m、薬のカプセルのような形をしていて、格子状のタガが貼り付けられ、粘土で覆われていました。また、中からは鉄刀子が五点、出土しています。
 円筒棺の棺身は円筒埴輪とよく似ていますが、円筒埴輪が埴輪を棺に転用したものであるのに対し、円筒棺は最初から棺専用に用意されたものと考えられています。また、埴輪工人との関連も指摘されるなど、様々な問題を提起しています。
 調査結果から、本遺跡では、四世紀に一区と丘陵の鞍部を隔てて位置する二区の頂部で墓地への利用が始まり、やがて一区に前方後円墳が築かれたと考えられています。これは、小さな地域の集まりだった宗像で、大きな力を持った者が首長として成長していく過程を示しているといえます。
 遺跡自体は残っていませんが、赤間小学校の南側の小さな公園に、遺跡の説明板が設置されています。
法量・規模・面積
所蔵
参考文献 宗像市 2009『宗像遺産 文化遺産編』
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