世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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宗像地域の文化財

  • 発掘調査中の田野瀬戸古墳後円部。/
  • 玄界灘を見通す位置に所在する田野瀬戸古墳。/
  • 上空から見た田野瀬戸古墳。/
名称 田野瀬戸古墳
種別
所在地 宗像市田野1522
形態
調査年
保存状況
出土遺物
時期
説明 岡垣町と接する湯川山から西に延びる丘陵上に位置し、前方後円墳一基と中世(鎌倉時代〜室町時代)の集石遺構からなる遺跡です。北から西にかけては、鐘崎漁港からさつき松原を通して玄界灘を望み、晴れた日には遠く沖ノ島も見えます。
 前方後円墳は、墳丘全長約三十八m、後円部径二十五m、くびれ部幅十一・四m、前方部幅十九m、後円部の高さ五・七m。主軸はほぼ東西で、須恵器片や陶磁器片などが出土しています。また、くびれ部から前方部の南側からは、一石五輪塔や板碑を持つ中世の集石遺構が見つかっています。
 後円部にある主体部は、単室の横穴式石室で、前庭側壁を備えています。古墳時代の遺物としては、挂甲(古代の鎧の一種)の小札(鉄製の小さな板)、鉄地金銅製の吊り金具や飾り金具、鉄鏃、管玉などが出土。中世の遺物では、銅製の笄、刀装具、アワビ、土師器の小皿や坏などが出土しています。また、墓道からは、鑿(あるいはヤリガンナ)や馬具(剣菱形杏葉、環状雲珠)などが出土しています。
 海岸線につくられた前方後円墳には海域を抑える役割もあり、この田野瀬戸古墳の被葬者は玄界灘の東部を統治していたと推測されます。出土品などと考え合わせると、被葬者は釣川の右岸地域を治めていた首長で、畿内と大陸を結ぶ北部九州海域ルートの重要な監視役であったと思われます。
 本古墳周辺では、昭和四十年代に土砂採取によって古墳二基を含む遺跡が消滅。また、昭和五十二年(一九七七)に作成された遺跡分布地図によると、前方後円墳二基と円墳二基がありましたが、現在は前方後円墳一基と円墳の一部が残るのみです。
法量・規模・面積
所蔵
参考文献 宗像市 2009『宗像遺産 文化遺産編』
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