世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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宗像地域の文化財

  • 本書前頁掲載の絵の部分は、石松和泉守の宿所での菊姫暗殺謀議を実行に移している場面。「藍島に朝鮮国より流船が来たので、その検分に行くために挨拶に来た」と言って、菊姫たちの屋敷に上がりこみ、暗殺の隙を窺っています。この次の場面では、石松和泉守と同行した峯玄蕃が菊姫を刺し殺す場面へと展開していきます。/
  • 「山田増福院御縁起」。/
名称 増福院の古文書
種別
所在地 宗像市山田700 増福院
形態
調査年
保存状況
出土遺物
時期
説明 増福院は、山田地蔵尊とも呼ばれ、天文年間の末ごろ(一五五〇年代)、宗像大宮司相続をめぐるお家騒動の中、氏貞擁立派の家臣によって謀殺された先代氏男の妻菊姫とその母(先々代正氏の妻)及び侍女四人の怨霊を鎮めるために氏貞が創建した曹洞宗の寺院です。
 増福院に残る文書のうち、寺が独自に所有していたものは、永禄二年(一五五九)の日付を持つ「宗像氏貞寄進状」や「吉田秀時書状」など、直筆署名のある書状(巻子装:巻物)三巻や、延宝九年(一六八一)の貝原篤信(益軒)撰「祭田記」などで、このほかに、増福院ゆかりの品として信者から寄進されたものがあり、同寺に対する信仰の在り方や中世末期の宗像を知る上で貴重な資料となっています。特に絵師衣笠守弘の筆による「山田増福院御縁起」は、絵を描いた部分と詞書と呼ばれる墨書きの縁起説明文を交互に表す、上・下二巻の絵巻物で、増福院が山田地蔵尊と呼ばれる所以となった、菊姫らの怨霊説話などが十二枚の絵に描かれています。
法量・規模・面積
所蔵
参考文献 宗像市 2009『宗像遺産 文化遺産編』
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