世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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宗像地域の文化財

  • 平安時代後期の古像が平成の今日まで伝わったのは、天正年間の修理のように、地元の人々の厚い信仰に支えられたことによるところが大きく、今日の文化財保護の指標となるものでもあるといえます。/
名称 用山の阿弥陀如来坐像
種別
所在地 宗像市用山145 用山観音堂
形態
調査年
保存状況
出土遺物
時期
説明 明治五〜十三年にかけて編集された『福岡県地理全誌』に「小堂三所、阿弥陀堂、堂の上にあり、坐像長五尺。古仏なり」と記された像です。高さ百二十八・五cm、楠材の一木から頭と体を彫り出す一木造で、膝の部分には別の材が用いられています。
 風化が進んでいたために行われた平成三年(一九九一)の保存修理の際、膝前の材に天正十二年(一五八四)の修理銘が墨書きされていることが分かりました。これによると、宗像郡河西郷の用山村の人たちが、天下泰平、国土安穏、村々の諸災消除、福寿増長などを祈って、無量寿(阿弥陀如来)を再興したことが記されています。また、この仏像再興事業は、藤原某氏が博多冷泉津あたりの仏師を使い、念仏講で結ばれた用山の人々の合力(資金協力)によって行われたことも記録されています。
 本像は、平山の阿弥陀如来立像と同じ「上品下生」の印(いわゆる来迎印)を結んでおり、人々が臨終に際して極楽往生を願い、阿弥陀の救済によって極楽浄土に迎えられることを願ったことがうかがえます。
法量・規模・面積
所蔵
参考文献 宗像市 2009『宗像遺産 文化遺産編』
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