世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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宗像地域の文化財

  • 仏教では、帝釈天や毘沙門天、吉祥天、弁財天、梵天、四天王、興福寺の阿修羅で有名な八部衆など、仏教以外のインドの神々を仏教に取り入れたため「天部」といわれる位を設け、仏法を守護する護法神としました。本像(甲・乙2体)は、四天王にあたると考えられます。が、手や腕を欠損していて、どのような武器や仏具を持っていたか確定できないため、市指定文化財の名称としては、広い解釈ができる「天王」としています。/
名称 八所神社木造天王像 甲・乙
種別
所在地 宗像市吉留3122 長宝寺観音堂
形態
調査年
保存状況
出土遺物
時期
説明 長福寺観音堂(長宝寺)の主尊である十一面観音立像の両脇に安置されている天王像です。『筑前國続風土記拾遺』の記述には、「毘沙門増上の像、四尺ばかりあり」とあり、本像を「毘沙門天」と「増長天」にあてています。
 甲像は、頭に兜は被っていませんが、衣の上から皮製と見られる鎧を身につけ、足にはブーツを履き、脛には小具足の脛あてをあてています。足下に天邪鬼を踏みつける様子は、まさに、仏法を守護する武将神の姿です。左右の手及び腕を欠損していることから尊像名を判断しにくいのですが、右手を腰にあて、左腕は二の腕に下がった袖を結びまとめて腕まくりし、肘を曲げて振り上げ、手には槍か戟のような長い棒状の武器を持つように見えるところから、須弥山の南を守護する増長天と推測できます。しかし、体と左腕の間隔があいているなど、長い棒状のものを持つには不自然に思えるところもあり、宝剣や棍棒など短めの武器を持っていたことも考えられます。また、筆や法具などを持てば、須弥山の東を守護する持国天にも推測できます。
 乙像は、頭頂に宝珠のようなものを載せた兜を被り、甲像と同様に皮製と思われる鎧をつけ、ブーツを履いて脛あてをあて、足下に天邪鬼を踏みつけています。本像も両腕を欠損していますが、右腕を横に伸ばし、肘を曲げていた様に見え、この先に宝塔のようなものを奉げ持つと考えられます。左腕は下げ、棒状の武器等を持つと思われ、北を守護する多聞天か毘沙門天と推測できます。
 『筑前國続風土記拾遺』の尊像名を借りれば、須弥山の南北を守護する四天王が長宝寺にあったことになりますが、四天王の二天王だけで構成される場合は、北の守護神である多聞天と東の守護神の持国天の組み合わせが多く、四天王に対して「二天王」と呼ばれています。甲像が持国天で乙像が多聞天であれば、二天王にあてはまることになります。
 いずれの尊像も一木造で、人体の自然な比例に近く、また表情も怒りを示しながら誇張することなく、古典的でおだやかな姿であり、平安時代以来の伝統的な四天王像の形を伝えています。像高甲像九十一・五cm、乙像百・一cm。
法量・規模・面積
所蔵
参考文献 宗像市 2009『宗像遺産 文化遺産編』
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