世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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宗像地域の文化財

  • 色定法師が献納した「一切経」は明治6年(1873)に興聖寺に移管されましたが、昭和39年(1964)に宗像大社に管理委託され、現在は同社神宝館に収蔵されています。/
名称 興聖寺色定法師一筆一切経
種別
所在地 宗像市田島2331 宗像大社神宝館
形態
調査年
保存状況
出土遺物
時期
説明 色定法師は、宗像社の座主(社僧の首席僧)兼祐の子で、晩年には父と同じ座主を務めています。名は良祐。後に経祐、次いで栄祐と変え、晩年に色定と改めました。
 「法華経」の四功徳の文を読んで感得し、国家平和、社内の人々の安寧や父母兄弟の長寿などを願って、一切経(すべての仏教経典)を一人(一筆)で書き写すことを発願。文治三年(一一八七)四月、二十九歳のときから四十二年間にわたって写経を続け、安貞二年(一二二八)、七十歳のとき、五千巻を超える経巻を写し終え、これを宗像社に献納しました。その間、京都、紀伊、讃岐などの近畿・四国をはじめ、筑前各地を巡っています。
 いわゆる「一切経書写」には、伝教大師、僧天海、鉄眼などの例がありますが、これらは多くの資力・人力を動員してなされたもので、色定のように単身で成し遂げたことは驚異です。また、一部が散逸したとはいえ、四千三百巻を越える経巻が現存するのは全国でも唯一です。
 経巻のなかには末尾に墨、紙、筆や費用を賄った人物の名前が記されたものがあります。その中に頻出する「張成」「李栄」という人物は、いずれも日宋貿易で活躍した博多の宋人綱首であり、宗像氏と宋の商人の密接な関係をうかがわせる史料としても貴重です。なお、昭和四十年(一九六五)から文化庁の指導の元で修復事業が行われ、平成二年(一九九○)、二十六年の歳月を経て作業が完了しました。
法量・規模・面積
所蔵
参考文献 宗像市 2009『宗像遺産 文化遺産編』
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