世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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宗像地域の文化財

  • 鐘身の最上部(笠)の下にある丸い突起を「乳」、乳が並んでいる場所を「乳の間」といい、鐘の音の微妙な余韻を生み出す役割を果たします。/
名称 興聖寺梵鐘
種別
所在地 宗像市田島1472 興聖寺
形態
調査年
保存状況
出土遺物
時期
説明 高さ九十四・八cm、口径四十九・一cm。『筑前國続風土記拾遺』には「鐘一口、無銘、高さ二尺五寸、周一丈、厚二寸」とあり、典型的な日本の鐘です。鐘身部には各種の文様帯が巡り、龍頭部には二頭の龍の頭が後ろ向きに絡む形をした龍頭に龍首が取り付いています。乳間は四段四列で、銘文はありません。駒の爪(梵鐘の裾部分)が小さく、引き締まった姿から、室町時代の作と考えられています。興聖寺は延慶二年(一三〇九)に宗像大宮司氏俊が片脇城内に建立しましたが、永禄十一年(一五六八)秋、豊後の大友軍が宗像郡に乱入した際に焼かれ、久しく廃寺でした。天正十四年(一五八六)、宗像大宮司氏貞が死去し、宗像大宮司家は断絶。翌年、宗像郡は小早川隆景の治めるところとなります。興聖寺はこの小早川隆景から寺領三町(三千)を寄進され、即山大和尚によって、臨済宗の寺として復興されます。この後、寺領は小早川秀秋の所領や筑前国の公領になるなど転々とし、失われます。慶長十五年(一六一〇)、寺が再々興されるときに、昔、この寺の下男をしていた者の末裔の子が、父親の遺命に従って寺域内の丑寅(北東方向)の方厳の間、榎の下から掘り出したのが、この鐘といわれます。
法量・規模・面積
所蔵
参考文献 宗像市 2009『宗像遺産 文化遺産編』
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