世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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宗像地域の文化財

  • 鎮国寺本堂/
名称 鎮国寺本堂
種別
所在地 宗像市吉田966 鎮国寺
形態
調査年
保存状況
出土遺物
時期
説明 鎮国寺は、弘法大師空海の開山と伝えられる真言宗の寺院です。建立以前から、真言密教の根本道場の霊地と考えられており、阿弥陀坐像板碑が立てられたり、埋経がなされていました。
 創建は鎌倉時代中期。江戸時代の『筑前國続風土記』や寺の由来を記した『寺院帳』などによると、弘長三年(一二六三)に、時の領主・宗像大宮司長氏が寺領となる土地と本堂を寄進し、真言宗の僧皇鑒に寺を創建させたといいます。また、同じ弘長年間(一二六一〜一二六四)には、後嵯峨天皇の命を受け、勅願寺の一つに選ばれました。
 当時の史料「宗像長氏寄進状案」によれば、東は小垂頭山、西は福田川、南は落水谷、北は大道が境となる領地で、水田十六町(約一万六千)の広さがあったと記されています。
 鎮国寺本堂は、「五仏堂」とも呼ばれるように、宗像五社の本地仏が安置されています。その一つ、沖津宮の大神は、大日如来に姿を変えてあらわれた神とされたため、鎮護国家を祈願する寺「鎮国寺」と呼ばれるようになりました。本寺が創建されたことにより、宗像神社の境内地にあった神宮寺は、新たに鎮国寺となり、宗像の惣寺となったといいます。
 また、寺の創建に力を注いだ皇鑒は、鎮国寺の長老として院長になり、公家・武家への安全祈祷を弟子たちに伝えていくことを命じられました。
 建武三年(一三三六)、足利尊氏から土地を寄進され、祈祷を依頼されるなど、鎮護国家の祈祷を受け継ぎ、その後も、大宮司宗像氏貞や藩主黒田家の庇護を受けて繁栄。現在でも、九州西国三十番霊場として、人々の篤い信仰を集めています。
法量・規模・面積
所蔵
参考文献 宗像市 2009『宗像遺産 文化遺産編』
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