宗像地域の文化財
名称 |
聖護院道増書状 |
種別 |
歴史資料 |
所在地 |
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形態 |
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調査年 |
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保存状況 |
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出土遺物 |
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時期 |
永禄7年(1564) |
説明 |
尚々相替自余之身上 社職之事八天下之御事 被致疎略候而者太不可然候歟 御肝容可目出候 京衆船之儀度々令申候 于今無御運之条失本意候 子細深重候共 上意并 愚老召遣給候而預御返付者 可為本望候此段無差儀候 以之都鄙之義絶候段 無勿体候別而請厚恩候 坂田へ申越候間不相届候哉 猶奉行衆使弁平賀助 可申述候謹言 十二月十二日(花押) 宗像大宮司殿
京都聖護院第二十五代門跡である聖護院道増が、玄界灘津屋崎沖で難破した船の積荷の返還を、宗像大宮司氏真に求めた手紙。当時、道増は安芸の毛利氏と豊後の大友氏との和平使者として長州に派遣されていた。宗像大社辺津宮本殿造営に至る過程を克明に記した置札が現存し、そこに積荷返還の一件も記されている。難破した船は帰国途中の遣明船で、船荷の主は室町将軍足利義輝の家臣であった。数々の唐櫃の中には紅白の絹糸が納められ、ほかにも木綿などの積荷もあった。将軍の意向をうけた返還要求であったが、宗像大社は古来からの寄物取得権を主張してはねかえし、積荷は本殿造営の費用に充てられたのである。 |
法量・規模・面積 |
16.5cm×53.2cm |
所蔵 |
宗像大社所蔵 |
参考文献 |
出光美術館2014『宗像大社国宝展-神の島・沖ノ島と大社の神宝』 |
図録ページ |
91 |
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