世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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宗像関連古文書・史料

    文書群名 石松家文書
    文書番号 参考3
    文書名 宗像氏家臣連署奉書
    和暦 弘治二年七月十三日
    西暦 1556年 7月 13日
    本文 [  ]閏二月朔日、益田藤兼[  ]至、石州三隅衆要害鐘瓦[  ]懸、同十日〈ニ〉落去候。然者、豊前[  ]之助殿至鐘尾、其刻之馳[  ]此方人数、針藻等島在城[  ]之助殿同前者小城幸市□〔被〕疵〈鑓疵/右手〉、并僕従新七被疵[  ]之由、粉骨神妙之至候。然処、[  ]〔藤〕兼被対防州無御別儀之趣、依[  ]拵各安堵候。御感悦之趣、[  ]可申旨候。恐々謹言。
    〈(異筆)「□〔弘〕治二」〉七月十三日   尚秀(花押)
                          秀時(花押)
                          氏備(花押)
       石松兵部丞殿
    読み下し [  ]閏二月朔日、益田藤兼[  ]至りては、石州三隅衆要害鐘瓦[  ]懸かり、同十日ニ落去候。然れば、豊前[  ]之助殿鐘尾に至り、其の刻の馳[  ]此の方人数、針藻等島在城[  ]之助殿同前の者小城幸市疵〈鑓疵/右手〉を被る、并びに僕従新七疵[  ]を被るの由、粉骨神妙の至りに候。然る処、[  ]〔藤〕兼防州に対せられ御別儀無きの趣、[  ]拵に依り各安堵候。御感悦の趣、[  ]申すべき旨に候。恐々謹言。
    〈(異筆)「弘治二」〉七月十三日   (寺内)尚秀(花押)
                       (吉田)秀時(花押)
                       (許斐)氏備(花押)
       石松兵部丞(典宗)殿
    大意 宗像大宮司氏貞の奉公人、石見国針藻等島における合戦につき、石松典宗の戦功を賞する。
    紙質
    寸法(縦) cm
    寸法(横) cm
    備考 『宗像市史』史料編第二巻中世Ⅱ371号。
    出典 『宗像大社文書』第3巻