宗像関連古文書・史料
文書群名 |
吉田公一奉納文書 |
文書番号 |
8 |
文書名 |
宗像氏家臣連署書状 |
和暦 |
永禄四年八月十八日
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西暦 |
1561年 8月 18日 |
本文 |
郎従三島喜三事、先年御籠島之刻、凌難渡陸池〔地〕之搦等、不謂夜白遂辛労。其後於諸口度々之粉骨、誠被 思召神妙候。因茲、直雖被成 御褒美度候、当時之姿動軽 上意、至其主人慮外之覚悟而已在之条、以 御慎之篇一廉不被仰出候。仍対重致為御感、宮地郷内壱町〈坪付別紙〉在之地事、被成御扶助畢。此等之 御気色能々被申上之、自今以後弥抽忠儀、別而馳走肝要候。併御面目之至尤珍重候。恐々謹言。 八月十八日 秀兼(花押) 秀盛(花押) 尚宗(花押) 秀時(花押) 〈(付箋)「占部越後守」〉賢安[ ] 吉田伯耆守殿 |
読み下し |
郎従三島喜三事、先年御籠島の刻、難を凌ぎ陸地の搦等に渡り、夜白を謂はず辛労を遂ぐ。其の後諸口において度々の粉骨、誠に神妙に思し召され候。茲に因り、直に御褒美成されたく候と雖も、当時の姿動は上意を軽ろんじ、其の主人に至り慮外の覚悟のみこれ在るの条、御慎みの篇を以て一廉仰せ出だされず候。仍つて重致に対し御感として、宮地郷の内壱町〈坪付別紙〉これ在るの地の事、御扶助を成され畢ぬ。此れ等の御気色能々申し上げられ、自今以後弥忠儀を抽きんじ、別して馳走肝要候。併しながら御面目の至り尤も珍重候。恐々謹言。 (永禄四年)八月十八日 (石松)秀兼(花押) (小樋)秀盛(花押) (石松)尚宗(花押) (吉田)秀時(花押) 〈(付箋)「占部越後守」〉賢安 吉田伯耆守(重致)殿 |
大意 |
宗像氏奉行人、吉田重致の郎従三島喜三の大島渡海以来の戦功を賞し、重致に対し宮地郷内において一町を扶助する宗像大宮司氏貞の意を伝える。 |
紙質 |
楮紙 |
寸法(縦) |
cm |
寸法(横) |
cm |
備考 |
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出典 |
『宗像大社文書』第3巻 |
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