世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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宗像関連古文書・史料

  • 宗像氏家臣連署奉書/
  • 宗像氏家臣連署奉書/
文書群名 吉田公一奉納文書
文書番号 4
文書名 宗像氏家臣連署奉書
和暦 永禄二年九月二日
西暦 1559年 9月 2日
本文 (端裏書)「(切封墨引)」
去弘治三年七月、多賀隆忠追討之刻、重致僕従、隆忠合鑓、悴者・中間両人討死候。其後、多賀彦四郎被討果之時、重致被官粉骨候。殊重致連々馳走之条、云袷云恰、為其賞、壱町九段之地〈坪付別紙在之〉事、被成御忠恩候。全有知行、社武役等被相懃之、弥可被抽忠儀之旨候。恐々謹言。
 〈永禄弐〉
   九月二日   秀時(花押)
          尚安(花押)
          尚秀(花押)
   吉田伯耆守殿
読み下し (端裏書)「(切封墨引)」
去んぬる弘治三年七月、多賀隆忠追討の刻、(吉田)重致僕従、隆忠と鑓を合はせ、悴者・中間両人討ち死に候。其の後、多賀彦四郎討ち果たさるるの時、重致被官粉骨候。殊に重致連々馳走の条、袷と云ひ恰と云ひ、其の賞として、壱町九段の地〈坪付別紙これ在り〉事、御忠恩を成され候。全く知行有り、社武役等相懃められ、弥忠儀を抽きんぜらるべきの旨に候。恐々謹言。
 〈永禄弐〉
   九月二日   (吉田)秀時
          (占部)尚安(花押)
          (寺内)尚秀(花押)
   吉田伯耆守(重致)殿
大意 宗像氏奉行人、大宮司氏貞の意を奉じて、弘治三年七月の多賀隆忠追討における吉田重致被官の勲功を賞し、重致に対し一町九段の地を充行う。
紙質 楮紙
寸法(縦) cm
寸法(横) cm
備考
出典 『宗像大社文書』第3巻