宗像関連古文書・史料
文書群名 |
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文書番号 |
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文書名 |
年中諸祭礼衣裳之事 |
和暦 |
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西暦 |
年 月 |
本文 |
(表紙)「年中諸祭礼衣裳之事」
御神事御衣裳次第之事 〈但大ツコモリノ刁時〉 正月一日 第三宮 御衣裳束帯 同日 年男参時 木賊色 同日 御祝〈仁〉 御直垂 〈同夜宿宮〉 〈浄衣〉 同日 第一宮 束帯〈同田殖〉 □日 興聖寺〈江〉□〔御ヵ〕出 直垂 □□〔日〕鎮国寺〈江〉御出 同 □日 仏成寺〈江〉御出 同 〈五日 〔 〕〔出頭〕 同〉 七日 □〔青〕馬御□事 浄衣 八日 御占〈同夜吉書、直垂鎮国寺〈ニ〉御出并〉 束帯 〈社僧出頭〉 九日 興聖寺〈ニ〉御出 直垂 十日 心経供養 浄衣 十三日 入けしやう 浄衣 十四日 弥勒堂行 同 十五日 桃〔踏〕哥 〈直垂〈茂〉依時宜也〉木賊色 十六日 鐘崎桃哥〈踏哥〉 木賊色 十七日 許斐桃哥〈踏哥〉 右同前 二月之分 〈孔大寺〉 一日 神明〔名〕帳 木賊色 浄衣 〈同夜千手堂行〉 同日 孔大寺御参 浄衣 〈浄衣〉 二日 〈同夜千手堂行〉 木賊色 三日 〈同夜同前〉 木賊色 □日 右同前 十五日 浄衣 十六日 〈神楽〉 束帯 三月之分 一日 浄衣 三日 木賊色 十五日 浄衣 四月之分 一日 浄衣 〈同道ハ浄衣〉 二日 〈年毛衣裳依時儀也〉 木賊色 十五日 浄衣 十八日 〈臨時之祭第三宮〉 束帯 晦日 〈かわまつり〉 いくわん 五月之分 一日 浄衣 三日 〈浜〈江〉御出之時、午剋〉 木賊色 五日 束帯 十五日 浄衣 六月分 一日 浄衣 十五日 右同前
晦日 〈なごし〉 束帯 七月分 一日 浄衣 七日 〈七夕〉 木賊色 十四日 右同前 十五日 〈御しやうへ〉 木賊色 八月分 一日 浄衣 十三日 束帯〈衣替木賊色〉 十四日 束帯 十五日 束帯 九月分 一日 浄衣 九日 木賊色 □〔十ヵ〕日 右同前 十一日 同前 十五日 浄衣 十月分 一日 浄衣 十五日 右同前 十一月分 一日 浄衣 十五日 右同前 十六日 束帯 廿九日夜 いくわん 十二月分 一日 浄衣 十五日 右同前 十六日 〈御舟上、湊〉 浄衣 十七日 右同前 十八日 〈稲庭上〉 木賊色 同日 〈縄懸〉 浄衣 十九日 浄衣 廿日 右同前 廿五日 〈高宮、同あふこおり、政所〉 浄衣 〈束帯〉 晦日 〈同夜丑ノ時、妙見〉 右同前 宝徳弐年〈庚午〉十二月晦日 一木賊色、身ノ分ハこせいかう、同うらの色ハ柳いろうすあおく、そてハ大せいかう、袖ノいと五色くミませ、おもてハとくさいろ、代五貫、 一さしぬきの紋、ふちのまないと、むらさき、うらハむらさきいた引、 一束帯、上袴、おもてきんしき、もん石重、うらハいた引、こいくれない、 一大かたひら、袖ハあや、身ハぬの、くそくもあやなり、 御衣裳奉行 〈占部〉弘安〈在判〉 〈高向〉盛忠〈在判〉 寛正弐〈癸午〔辛巳〕〉十二月十八日より奉行、 〈吉田孫六〉致忠〈在判〉 右以証判之記録、元亀元〈九月十九〉書写訖之〈矣〉。 |
読み下し |
省略 |
大意 |
(原本【概要】)宗像氏正(氏信の子息)が大宮司時代の宝徳2年(1450)12月、宗像社の御衣裳奉行の占部弘安・高向盛忠は連署して、大宮司が神社の年中行事に出仕するときに着用する衣裳の種類とその色目について定め、これに『御神事御衣裳次第之事』と命名した。約十年後の寛正2年(1461)(年数と干支の表記が合致せず、あるいは3年の可能性あり)12月、同奉行(御衣裳奉行)になった吉田致忠がこれを書写する。 現存するのは、これをさらに誰かが元亀元年(1570)9月に書写した写本である。 |
紙質 |
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寸法(縦) |
cm |
寸法(横) |
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備考 |
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出典 |
『宗像大社文書』第3巻 |
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