世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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宗像関連古文書・史料

  • 宗像大菩薩御縁起(3/3)/
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文書群名
文書番号
文書名 宗像大菩薩御縁起(3/3)
和暦
西暦 年 月
本文      第一者居左間 〈本地大日如来〉「・」小神地主明神〈本地普賢〉
 「・」第二者居中間 〈本地釈迦如来〉
     第三者居右間 〈本地薬師如来〉「・」小神所主明神〈本地文殊〉
         已上奉号中殿
     第一者居左間 〈本地大日如来〉「・」小神浪折〈本地観音〉
 「・」第三者居中間 〈本地薬師如来〉「・」小神正三位〈本地文殊〉
     第二者居右間 〈本地釈迦如来〉「・」小神御鎰持〈本地毗沙門〉
                      〈「・」小神上袴〈本地不動〉〉
         已上奉号地主
     如御詫〔託〕宣、三神一所〈仁〉有御遷座、此則居海辺、向異国事者、顕三神一躰・倶「-」躰倶「-」用・一「-」致幽「-」明霊「-」徳、尽未来際施本朝鎮護・異国征罰之霊験也矣。
「・」一金崎織旗太明神者、本地如意輪観音、垂迹者、武内大臣〈乃〉霊神也、神功皇后三韓征罰之時、織赤白二流之旗、被付当神宗大臣之御手長〈仁〉、故〈仁〉神明垂迹之時〈毛〉得〈玉恵留〉織旗之名字也、為異賊襲来之海路於守護、海辺〈仁〉居〈玉恵利〉。
「・」一許斐権現者本地阿弥陀如来、奉与宗像神明〈仁〉、依在本朝鎮護異国征罰之誓約、文徳天皇御宇天安元年〈仁〉熊野権現〈於〉奉勧請〈云云〉、霊験異于他、曼〔萬〕人之帰依世〈仁〉越〈玉恵利〉。
「・」一或說〈云〉、宗像大神ト居於西海之辺畔、加護於東域之仙洞、加之率五千九百余之従神、凌二千余万里之波濤、振上御手長、害数千人之異賊、振下御手長、滅数千人之凶徒〈云々〉。
      同伝記云、三韓降伏之御手長者、既納宮内、其中一竹之御手長者、猶生瓶中、霊異年旧、奇特于今新、凡当宮者三所大神、織幡大明神、許斐大権現〈已上五社神輿五墓〔基〕〉、末社七十五所、寺塔六十四宇也、於当神五社六社、有開合之不同、合時者五社、如右開時者六社〈奉加孔大寺〉。
「・」一吼〔孔〕大寺権現者、御垂迹之時代人不知之、本地奉秘之、大宮司一人之外者、不相伝之、吉野象〔蔵〕王権現〈土〉一躰異名之神明〈云々〉。
     彼山頂〈仁〉有大〈奈留〉穴、仍号穴大寺、自彼穴神明或現白馬之形、或現大蛇之形、指出半身、祭礼〈於〉受〈玉恵利〉、上古者、為九州平均之役、致毎年不闕之祭祠、為諸国之順役、彼山頂穴口〈仁〉造高棚、其上〈仁〉号生贄〈土〉、未開之女人〈於〉一人居置〈計利〉、然〈於〉七日中〈仁〉霊神自彼穴〈乃〉口、指出半身、食〈玉〉彼生贄〈其親類患無限〉、昔祭礼時者、甑松原〈仁〉立甑、御供〈於〉調美〔備〕〈志天〉、彼松原与穴大寺山中間、七八里之間、九州之人民等群集〈志天〉、至〈満天〉彼山頂〈仁〉、立連〈天〉、伝供〈仁〉奉備之、仍昔者穴大寺〈土波〉国大事書〈計利〉、然間霊験異于他、無左右神前〈於〉通人無之、御前海上往覆〔復〕之船、多令破損之間、此海上〈於〉通人者、先乗船御前〈仁〉令参詣、致祈誠〈云々〉、仍延暦二十一年〈壬午〉最澄和尚為渡唐安船御祈祷、有参詣、致顕密之法施、奉授円戒於神明、自其時霊神改邪執、帰正理、自今以後者咁法華之法味、不可食生贄、結縁繋属衆生悉可令度脱之由有誓、仍其年当日向国之順役、或人備鍾愛之息女於彼生贄〈仁〉、彼女人年来法花信仰之間、読誦之処〈仁〉、白髪老翁出来〈天〉聴聞之、其後蛇体之霊神、雖出現〈玉〉、不食之、詫〔託〕宣云、我依渡唐之比丘教戒、改邪執訖、自今以後者、留生贄、可書写読誦法花経〈於云々〉、仍毎年不闕〈仁〉、祭礼之時、法花経一部被書写供養処也。
「・」一宗像三所大菩薩御垂跡〔迹〕以来、令受生唐土・日本〈仁〉、或成僧形、或成俗形〈土〉、利生方便区〈仁志天〉、諸神父母〈土〉号〈志玉恵留〉事。
   住吉御縁起云、日本将軍源禅師〈強石将軍、後顕太祖権現云々、〉
   香椎御縁起云、神亀五年〈仁〉大祖権現自唐土日本〈仁〉来給〈天〉、最初〈仁〉恰土郡野北浦〈仁〉着給〈天〉、即香椎宮〈仁〉入給、于時高良玉垂告〈天〉聖母大菩薩言、此太祖権現者、日本国三千七百余社権者・実者神々祖父也、殊聖母八幡〈仁波〉、九代祖師々匠〈云々〉、其時聖母大菩薩告太祖権現言〈久〉、此所〈波〉分限狭、可住高山〈仁〉給〈土天〉、香椎杉〈於〉分殖〈天〉、奉崇太祖権現、是則今〈乃〉若杉山是也、聖母〈毛〉八幡〈毛〉常太祖権現〈仁〉有御参詣〈云々〉、日本唐土〈仁〉分身散影在之見〈多利〉。
   太祖権現御詫〔託〕宣云、我〈波〉真言興起・往生極楽薩埵也、本地真言祖師也、権現大神、為一切衆生、起四無量心、更〈仁〉不起三毒、垂一子慈悲、成三宝興隆之念、如是無量劫現五智金剛杵并独胡法身形、付「-」属中天竺国善無畏三蔵者、是我也〈云々〉。
     然則強石将軍〈今宗像/大菩薩〉、若杉太祖権現一体異名神〈云々〉、如御詫〔託〕宣者、朝中三千余社之権者・実者祖父〈云々〉、爰以住吉大明神等者、宗像大菩薩之御子、宇佐八幡・高良玉垂者御孫子〈土〉見〈多利〉、惣〈天〉為諸神之祖父故歟、依之於当宮奉祭七十余社〈乃至〉諸社之神明此意也、然間参詣当宮者、日本一州三千余社之神明〈仁〉参詣〈須留仁〉可同者也。

「・」一当宮御詫〔託〕宣云、吾昔率五千九百余之従神凌二千余曼〔萬〕里之風浪、振御手長、害異国凶賊、是則為国為民、而所犯若干之殺罪也、早書写般若経、可放生供養〈云云〉。
 「・」同第三御詫〔託〕宣云、帰命満月海、浄妙瑠璃尊、薬能救衆生、因中十二願〈云云〉、
     依此御詫〔託〕宣、毎年不闕〈仁〉模「-」写大般若・金剛般若経等、八月十三四五首尾三箇日夜之間、展開題講讚之梵序、被行放生大会処也。

「・」一延喜神祇式云、西海道神一百七座〈大卅八座小六十九座〉 筑前国十九座〈大十六座小三座〉 宗像郡〈並大〉 宗像神社三座〈名神並大〉
     織幡神社一座〈名神大云々〉、

「・」一宗像太神宮本社末社大小神明事
 「・」第一太神宮
 「・」第二太神宮
 「・」第三太神宮
  「・」上高宮〈仁波「・」第一「・」第二「・」第三〉三所有御座
  「・」下高宮〈仁波「・」第一「・」第二「・」第三「・」北崎〉四所有御座
 「・」高宮下苻社員数事
   「・」岡堺明神社
   「・」楯崎明神社
   「・」加津浦明神社
   「・」須多田明神社
   「・」山口郷口代明神社
   「・」只下明神社
   「・」浪折明神社
   「・」千得下苻三社〈「・」須田明神「・」伊摩大明神「・」津田明神〉
   「・」年津久明神社
   「・」太井明神社
   「・」飯盛明神社
   「・」和哥明神社
   「・」国玉明神社
   「・」犬玉丸明神社
   「・」四道明神社
   「・」小野井明神社
   「・」原比女明神社
   「・」息直明神社
   「・」飯豊明神社
   「・」御霊明神社
   「・」祓方明神社
   「・」葦木明神社
   「・」山手明神社 已上二十五社
  「・」息御嶋社
  「・」中御嶋社
   「・」御衣代社 「・」五位社  「・」河上社
   「・」所主社  「・」竜主社  「・」年所社
   「・」止々社  「・」祝詞社  「・」荒熊社
   「・」山部社  「・」山師社  「・」御竈社
   「・」君達社  「・」草上社  「・」天宮金宮社
   「・」御船漕社 「・」薭和社  「・」四道社
   「・」朝拝社  「・」風隼社  「・」息送社
   「・」九日社  「・」息正三位社 〈已上二十三社〉
  「・」織幡大明神
  「・」許斐権現
  「・」吼〔孔〕大寺御山社
   「・」宮地岳明神  「・」与里岳明神  「・」妙見大菩薩
   「・」森明神    「・」土穴若宮   「・」伊摩大明神
   「・」政所社    「・」浪折大明神
   「・」酒井明神   「・」池田若宮   「・」許斐所主
   「・」山下明神   「・」温済殿明神  「・」示現明神
   「・」縫殿明神   「・」内浦若宮   「・」山口若宮
   「・」伊久志明神  「・」飯豊明神   「・」柳牟田社
   「・」渡津社    「・」池浦山王   「・」蛭田若宮
   「・」今山妙見大菩薩「・」年毛明神   「・」国連明神
   「・」人見明神   「・」宮田若宮   「・」宰貴若宮
   「・」田熊貴船   「・」辻原若宮   「・」十所王子
   「・」大木若宮   「・」牧口明神   「・」浜宮明神
   「・」西塔田若宮  「・」稲庭上明神  「・」吹浦明神
   「・」久米明神   「・」津田明神   「・」和加明神
   「・」国玉明神   「・」酒田明神   「・」勝浦明神
   「・」楯﨑明神   「・」年津両上明神 「・」山口御口代明神
   「・」大神明神   「・」酒多明神   「・」飯盛小盛明神
   「・」前戸明神   「・」原比女明神  「・」息直明神
   「・」祓方遠賀堺明神「・」御霊明神   「・」藤宮明神
   「・」小野井明神  「・」葦木明神   「・」山手明神
   「・」四道福松明神 「・」津加計志明神 「・」只下明神
        已上小神六十二社前後惣一百八社


「・」一貴船大明神〈於〉大宮司館〈鬼門方丑寅角〉被安置〈玉〉事
      此神本名者冝布祢也、奉改名字於貴船事者、一切衆生溺生死海、故浮神船、令到彼岸、故名貴船也、本地不動也、大神宮外宮者、本地不動、仍一体也、上社者大荒神也、本地聖天也、是則伊弉諾・伊弉冉尊也、天照大神父母、宗像神者祖父祖母也、仍在氏人雍〔擁〕護之誓、故大宮司館〈仁〉被安置〈玉〉歟。
  「・」貴船者賀茂大明神〈土〉一体、故上下両社〈仁〉有之、又名山神、白山一体故也、白山〈仁〉大汝小汝二神有之、是又伊弉諾・伊弉冉之二神也〈云々〉、〈鷹或〈ハ〉白狐為使者也、〉。


「・」一三所大菩薩最初御影向地事
     室貴六岳〈仁〉有御着、則神興村〈仁〉着〈玉〉、於此村〈仁〉初〈天〉被耀神威、故〈仁〉神興村号也、其後三所之霊地〈仁〉有御遷座〈云々〉。

「・」一当神対異賊最初御合戦地事
     御楯〈於〉被築始処〈於〉、楯﨑〈土〉号〈須〉、其御楯成石〈仁〉、今〈仁〉有之、軍〈仁〉有御勝、々鼓〈ヲ〉打〈玉留〉処〈於〉鼓嶋〈土〉号〈須〉、其鼓成石、有于今〈仁〉矣。
     (朱書)「一説〈ニハ〉三韓征伐之後、御楯〈於〉此処〈仁〉留置〈玉云々〉、」
読み下し 省略。
大意 (原本【概要】から抜粋)宗像の地に根拠地を定めた宗像氏が、その祖先神としての宗像神が長い歴史のなかでどのような経緯によって現在の地位をしめ、どのような神徳を具備するに至ったかを説明するために、日本神話の伝承とのかかわりを通して作成した縁起である。
紙質
寸法(縦) cm
寸法(横) cm
備考 長大なためデータを三つに分けて表示。
出典 『宗像大社文書』第3巻