宗像関連古文書・史料
文書群名 |
近藤清石写本宗像文書 |
文書番号 |
27 |
文書名 |
宗像大宮司氏貞書状写 |
和暦 |
(永禄十一年カ)十一月十二日
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西暦 |
1568年 11月 12日 |
本文 |
去九〈申刻〉至湊津、飛脚差渡候之処、其表衆帰陣以後着津候て、為可申届、博多迄罷下候歟。又於右津越度候哉。一円無到来候。従旁〈茂〉不通之条、千万無御心元候。同九〈酉刻〉之、従竜宮寺御折紙、同九夜〈丑刻〉勝浦陣着候。既鑑種月隈迄引退之由候上者、翌日行難在之、令校量候。然者、経好同九山鹿着候条、為対談氏貞事、至山鹿罷越、経好直談申候。其方御到来被相待半候。仍秋月方手柄働候、千手隆惟生害之由候。東西手合尤珍重候。将又去九日松山〈江〉敵差寄候処、散々被仕付之由候。仍鑑種現形之趣、遂注進候処、連判折紙両通進入候。彼是七通送進候。委細太〔吉カ〕田木工助可申候。恐々謹言。 十一月十二日 氏貞〈押字〉 有田加賀守殿 山田民部丞殿〈御旅所〉 有田加賀守殿 宗像 山田民部丞殿〈御旅所〉 氏貞 |
読み下し |
去ぬる九〈申の刻〉(筑前国宗像郡)湊津に至り、飛脚差し渡り候の処、其の表衆帰陣以後着津候て、申し届くべきため、博多迄罷り下り候か。又右津に於いて越度候や。一円到来なく候。旁よりも通ぜざるの条、千万御心元なく候。同じ九〈酉の刻〉(那珂郡)竜宮寺よりの御折紙、同じ九夜〈丑の刻〉勝浦の陣に着し候。既に(高橋)鑑種(席田郡)月隈迄引き退くの由候の上は、翌日行き難くこれ在り、校量せしめ候。然らば、(市川)経好同じ九(遠賀郡)山鹿に着し候条、氏貞と対談の事のため、山鹿に至り罷り越し、経好と直談申し候。其の方御到来相待たれ半ばに候。仍つて秋月(種実)方手柄働き候、千手隆惟生害の由候。東西の手合せ尤も珍重候。将た又去る九日(京都郡)松山〈え〉敵差し寄せ候処、散々に仕付けらるの由に候。仍つて鑑種現形の趣、注進を遂げ候の処、連判折紙両通進らせ入り候。彼れ是れ七通送り進らせ候。委細吉田木工助申すべく候。恐々謹言。 (永禄十一年カ)十一月十二日 (宗像)氏貞〈押字〉 有田加賀守(経道)殿 山田民部丞(満重)殿〈御旅所〉 有田加賀守殿 宗像 山田民部丞殿〈御旅所〉 氏貞 |
大意 |
宗像氏貞、合戦の状況を山鹿在陣の市川経好に報じ、有田経道、山田満重の宗像下向を望む。 |
紙質 |
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寸法(縦) |
cm |
寸法(横) |
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備考 |
原文書は、山口県文書館所蔵山田文書。『萩藩閥閲録』巻31収録。『宗像市史』史料編第2巻577頁。
山田岩之助蔵(近藤清石写本宗像文書28号参照)。 |
出典 |
『宗像大社文書』第2巻 |
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