宗像関連古文書・史料
文書群名 |
近藤清石写本宗像文書 |
文書番号 |
10 |
文書名 |
鎮西裁許状写 |
和暦 |
延慶三年十二月六日
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西暦 |
1310年 12月 6日 |
本文 |
宗像大宮司氏盛申肥前国晴気保内用永名地頭淂〔得〕分米拾肆石伍斗柒升参合・銭壱貫肆百参拾文事 右、名主刑部律師琳海正応四年以後不従地頭所務、抑留分之由、氏盛就訴申、度々雖尋下琳海、無音之間、以多久太郎宗経・小城弥五郎入道妙善〔喜〕、重加催促之処、如宗経等執進琳海去年五月八日請文者、給本解状、可明申〈云々〉、然而琳海于今不参之間、難遁違背之咎歟。然則於地頭所務者、守先例、致沙汰、至淂〔得〕分物者、任員数可令究済者、依仰下知如件。 延慶三年十二月六日 前上総介平朝臣〈押字〉 |
読み下し |
宗像大宮司氏盛申す肥前国(小城郡)晴気保内用永名地頭得分米十四石五斗七升三合・銭一貫四百三十文事 右、名主刑部律師琳海正応四年以後不後地頭所務に従はず、抑留分の由、氏盛訴へ申すに就いて、度々琳海に尋ね下すといへども、無音の間、多久太郎宗経・小城弥五郎入道妙喜を以つて、重ねて催促を加うるの処、宗経等執り進らす琳海去る年五月八日の請文の如くんば、本解状を給はり、明らめ申すべしと〈云々〉、然れども琳海今に不参の間、違背の咎遁れがたきか。然れば則ち地頭所務においては、先例を守り、沙汰を致し、得分物に至りては、員数に任せ、究済せしむべし者れば、仰せに依つて下知件の如し。 延慶三年十二月六日 前上総介平朝臣(北条政顕)〈押字〉 |
大意 |
鎮西探題北条政顕、宗像大宮司氏盛の訴えによって、肥前国晴気保内用永名名主刑部律師琳海の、正応四年(1291)以後の地頭得分米抑留を停め、これを究済させる。 |
紙質 |
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寸法(縦) |
cm |
寸法(横) |
cm |
備考 |
宗像社家文書惣目録24(ツ)に対応。
宗像氏緒蔵(近藤清石写本宗像文書14号参照) |
出典 |
『宗像大社文書』第2巻 |
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