世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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宗像関連古文書・史料

  • 宗像社家中覚/
文書群名 宗像家文書
文書番号 65
文書名 宗像社家中覚
和暦 慶長四年三月吉日
西暦 1599年 3月
本文    覚
一、当国天正十五亥〈ノ〉年〈ヨリ〉文禄三午〈ノ〉年迄八ケ年隆景様御存知之間、宗像郡之内田畠・屋敷弐百町宗像八幡社領〈ニ〉御付被下候。同四未〈ノ〉年、中納言様〈ニ〉被成御譲候。則三社家同前〈ニ〉遂御案内候事。
一、宗像・鞍手彼両郡之儀、隆景様御隠居分〈ニ〉付而、従 中納言様三社家同前〈ニ〉不被仰付候。然間、従隆景様河西村之内物成百石御付被下候事。
一、去年之儀者、御蔵入〈ニ〉付而不申上候之処、御国〈ニ〉罷成、尤目出奉存候。当国三社家同前〈ニ〉可被成御分別事、可忝候事。
    以上
  慶長四年弥生吉日   宗像社家中
読み下し    覚
一、当国天正十五亥の年より文禄三午の年迄八ケ年(小早川)隆景様御存知の間、(筑前国)宗像郡の内田畠・屋敷弐百町宗像八幡社領に御付け下され候。同四未の年、中納言(小早川秀秋)様に御譲り成され候。則ち三社家同前に御案内を遂げ候事。
一、(筑前国)宗像・鞍手彼の両郡の儀、隆景様御隠居分に付て、中納言様より三社家同前に仰せ付けられず候。然る間、隆景様より(宗像郡)河西村の内物成百石御付け下され候事。
一、去年の儀は、御蔵入に付て申上げず候の処、御国に罷り成り、尤も目出存じ奉り候。当国三社家同前に御分別成さるべき事、忝かるべく候事。
   以上
  慶長四年弥生吉日   宗像社家中
大意 当社々家、天正十五年以来の小早川隆景と当社領との関係を概観して、覚書を成す。
紙質 楮紙
寸法(縦) 28cm
寸法(横) 39.5cm
備考
出典 『宗像大社文書』第2巻