宗像関連古文書・史料
文書群名 |
宗像家文書 |
文書番号 |
47 |
文書名 |
吉田貞房書状写 |
和暦 |
天正十五年五月二十八日
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西暦 |
1587年 5月 28日 |
本文 |
(上書)「〆 高向中務卿殿〈参、御宿所〉 〈吉右馬助〉貞房」 追而申候奥ノ広屋敷境之儀、中端□口以尺杖打定候て、互に一通可給置候之至、只今者不要候、不要候矣。 東郷内大和分掘名子屋敷弐ケ所之儀、新五郎分居屋敷〈ニ〉御在宅有度之由候間、赤馬庄軽富之内森ノ下五段尻二段之内、右為屋敷替五石田一段半給置候。残太(マヽ)半之分者、重而田畠之間に可致寄替候。其間之儀は、五石田半々土貢米馳走可申候。御使青柳源左衛門方御被官国右京を申渡候間、不可有緩候。恐々。以上。 天正拾五年五月廿八日 貞房在判
(異筆)「右者、文政二卯六月卅日〈ニ〉写之。吉田市之正所持之分写也。」 |
読み下し |
(上書)「〆 高向中務卿(良秀)殿〈参る、御宿所〉 〈吉右馬助〉貞房」 追て申候ふ奥の広屋敷境の儀、中端□口尺杖を以て打定め候て、互ひに一通給置すべく候の至り、只今は不要候、〱。 (宗像郡)東郷内大和分掘名子屋敷弐ヶ所の儀、新五郎分居屋敷に御在宅ありたきの由候ふ間、赤馬庄軽富の内森ノ下五段尻二段の内、右屋敷の替として五石田一段半給置すべく候。残り大半の分は、重ねて田畠の間に寄替を致すべく候。其の間の儀は、五石田半々土貢米馳走申すべく候。御使青柳源左衛門方御被官国右京を申し渡し候間、緩あるべからず候。恐々。以上。 天正拾五年五月廿八日 (吉田)貞房在判
(異筆)「右は、文政二卯六月卅日にこれを写す。吉田市之正所持の分の写なり。」 |
大意 |
吉田貞房、宗像東郷内の屋敷替につき、替りに赤馬庄内の田地を給与する旨、高向良秀に通知する。 |
紙質 |
楮紙 |
寸法(縦) |
24cm |
寸法(横) |
32.2cm |
備考 |
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出典 |
『宗像大社文書』第2巻 |
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