宗像関連古文書・史料
文書群名 |
宗像家文書 |
文書番号 |
44 |
文書名 |
宗像宮僧官着座次第写 |
和暦 |
天正十三年二月
|
西暦 |
1585年 2月 |
本文 |
宗像宮僧宦〔官〕着座次第 (左座部) 左座 (朱書)〈第二宮下旬護灯 豊福式部郷〔卿〕(朱書)「当代豊福常陸為徳」〉 「一」 六郎丸、学頭座定秀賀
〈第一宮上旬護灯 常子大弐〉 「二」 永用 増秀 〈下高宮上十五日経衆〉
〈第三宮中〔上イ〕旬護灯 清水兵部郷〔卿、以下同ジ〕〉 「三」 殿弘 良仲
〈第三宮中旬護灯 高山少将〉 「四」 乃仁 栄秀
〈稲庭大明神護灯 池浦治部郷〉 「五」 諸次郎 良賀
〈日並兵〔刑イ〕部郷 (朱書)「当代日並河内守永賀」〉 「六」 六〔五イ〕郎丸 長玄
〈許斐大権現護灯 吉田少輔〉 「七」 助丸 良知
〈第二宮中旬護灯 孔大寺護灯〉 「八」 楽万 〈吉田切手共/図師共抱之。〉良季
〈池田郷粢殿護灯 名字木原〉 「九」 一楽 秀賀預リ
(右座部) 右座 (朱書)〈殿上奉行 高向中務郷〉 「一」 与里次郎丸、座主 良秀 〈両座主着座一代替リ、(朱書)「当代高向佐渡秀貫」〉
〈織幡大明神護灯 池浦式部郷〉 「二」 伊王丸、座主 秀賢 〈妙見大菩薩護灯 (朱書)「当代池浦土佐秀純」〉
〈第三宮上〔下旬イ〕 護灯 力丸中将〉 「三」 与里重松 〈是ヨリ階臈次第也、〉良存 〈上高宮下十五日護灯〉
〈上高宮上十五日護灯 山下越後〉 「四」 力万、堂達 増泉 〈下高宮下十五日護灯〉
〈第一宮下句護灯 吉田二位〉 「五」 力善 行光 (朱書)「当代 闕」
〈第二〔一イ〕宮中旬護灯 吉田侍従〉 「六」 重留〔富イ〕 良増
〈第二宮上旬護灯 吉田少納言〉 「七」 小薬丸 良玄
〈名字高橋〉 「八」 安延 秀賀預リ
以上宦〔官〕僧十七人、此外供僧衆有〔在イ〕之。楯崎寺院主、土穴郷宮司、名残村院主営〔当イ〕社供僧。此三人、夏入行之時、役者有〔在イ〕之。 右、古本破損之条、猶為後証令写之畢。 天正十三天乙酉二月 学頭長賀〈在判〉 |
読み下し |
宗像宮僧官着座次第 (左座部) 左座 (朱書)〈第二宮下旬護灯 豊福式部卿(朱書)「当代豊福常陸為徳」〉 「一」 六郎丸、学頭座定秀賀
〈第一宮上旬護灯 常子大弐〉 「二」 永用 増秀 〈下高宮上十五日経衆〉
〈第三宮上旬護灯 清水兵部卿〉 「三」 殿弘 良仲
〈第三宮中旬護灯 高山少将〉 「四」 乃仁 栄秀
〈稲庭大明神護灯 池浦治部卿〉 「五」 諸次郎 良賀
〈日並刑部卿 (朱書)「当代日並河内守永賀」〉 「六」 五郎丸 長玄
〈許斐大権現護灯 吉田少輔〉 「七」 助丸 良知
〈第二宮中旬護灯 孔大寺護灯〉 「八」 楽万 〈吉田切手共/図師共抱之。〉良季
〈池田郷粢殿護灯 名字木原〉 「九」 一楽 秀賀預リ
(右座部) 右座 (朱書)〈殿上奉行 高向中務卿〉 「一」 与里次郎丸、座主 良秀 〈両座主着座一代替リ、(朱書)「当代高向佐渡秀貫」〉
〈織幡大明神護灯 池浦式部卿〉 「二」 伊王丸、座主 秀賢 〈妙見大菩薩護灯 (朱書)「当代池浦土佐秀純」〉
〈第三宮下旬護灯 力丸中将〉 「三」 与里重松 〈是ヨリ階臈次第也、〉良存 〈上高宮下十五日護灯〉
〈上高宮上十五日護灯 山下越後〉 「四」 力万、堂達 増泉 〈下高宮下十五日護灯〉
〈第一宮下句護灯 吉田二位〉 「五」 力善 行光 (朱書)「当代 闕」
〈第一宮中旬護灯 吉田侍従〉 「六」 重富 良増
〈第二宮上旬護灯 吉田少納言〉 「七」 小薬丸 良玄
〈名字高橋〉 「八」 安延 秀賀預リ
以上官僧十七人、此外供僧衆在之。楯崎寺院主、土穴郷宮司、名残村院主当社供僧。此三人、夏入行之時、役者在之。 右、古本破損之条、猶為後証令写之畢。 天正十三天乙酉二月 学頭長賀〈在判〉 |
大意 |
大宮司氏貞、僧官着座の位置を定める。 |
紙質 |
楮紙 |
寸法(縦) |
38.4cm |
寸法(横) |
51.5cm |
備考 |
座の位置に応じた配置で書かれているため(写真参照)、便宜、「右座部」「左座部」として、番号順に表示した。書き下しの方は、校訂註に示された異本の文字を優先して採用した。 |
出典 |
『宗像大社文書』第2巻 |
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