世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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宗像関連古文書・史料

  • 鎮西御教書写/
文書群名 宗像家文書
文書番号 29
文書名 鎮西御教書写
和暦 嘉元二年六月十九日
西暦 1304年 6月 19日
本文 肥前国晴気保地頭宗像六郎氏盛代良忍申地頭得分等事、重訴状・具書如此。多久太郎宗経執進行武・財納・弥久安・得武名主等請文雖区、違背両度下知之条、無所遁歟。其外恒安・十力・末吉名等者、不及散状云々。罪科同前歟。然則、於彼得分者、任員数、不日可沙汰渡氏盛也。仍執達如件。
  嘉元二年六月十九日   掃部助(花押)
   大町三郎入道殿
   小城弥五郎入道殿
読み下し 肥前国(小城郡)晴気保地頭宗像六郎氏盛代良忍申す地頭得分等の事、重ねての訴状・具書此の如し。多久太郎宗経の執り進らする行武・財納・弥久安・得武名主等の請文区と雖も、両度の下知に違背するの条、遁るる所無きか。其の外恒安・十力・末吉名等は、散状に及ばずと云々。罪科同前か。然れば則ち、彼の得分においては、員数に任せ、不日氏盛に沙汰し渡すべきなり。仍つて執達件の如し。
  嘉元二年六月十九日   掃部助(北条政顕)(花押)
   大町三郎入道殿
   小城弥五郎入道殿
大意 鎖西探題北条政顕、肥前国小城郡晴気保地頭宗像氏盛の訴えにより、同保内名主等に地頭得分を進納させる。
紙質
寸法(縦) cm
寸法(横) cm
備考 寸法は22号から31号まで一連で(文政5年(1822)青柳種信書写)、二十三紙継ぎ(各紙の横寸法については原本参照)。 『宗像大社文書』第1巻49号の写し。
出典 『宗像大社文書』第2巻