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宗像関連古文書・史料

  • 宗像三所大菩薩宮御座次第写(前欠)/
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文書群名 宗像家文書
文書番号 20
文書名 宗像三所大菩薩宮御座次第写(前欠)
和暦
西暦 年 月
本文 (〇前欠)
之御張〔帳〕[   ]内二体者安鞍令御座。各左〈ニハ〉如意宝珠、右〈ニハ〉指羽。二体者平座〈云々〉。右方眷属使者神八体、〈白色。〉此内一体〈ハ〉、左〈ニ〔仁〕〉如意宝珠、右〈仁〉指羽。七体〈ハ〉安鞍御座〈云々〉。殿上〈ニ〉太〔大、以下同ジ〕貌在八体。内二人〈ハ〉天童形、六人〔ノ脱〕衣冠之俗形也。
第二大菩薩、相同第一大菩薩御相好〈云々〉。
左方眷属使者神在八体、〈皆白色。〉此内二体〈ハ〉安鞍之御座、六体〈ハ〉平座。御所持物者相同。
第一御前、右方眷属使者神在九体、〈皆白色。〉三体〈ハ〉安鞍御座、七体〈ハ〉平座也。所持物同前。此外立像仏体一体在之。太貌八鉢同前。
第三大菩薩、御座同前。
左方眷属使者神在五体。内二体安鞍御座、三体平座。所持物同前。此外金銅座像之仏体一体。右方眷属使者神在八体。内二体〈ハ〉安鞍、六体平座。太貌之体九人。内天童形二人、俗形七人〈衣冠。〉此内一人者愛絵師子。
大床師子二頭、駒犬二頭、〈的犬者石体。〉
 右、惣社九間四面之内、注文如件。
一中殿第二大菩薩、三所御身。御印相者同惣社。但御髪者釈迦之仏体也。金之頭光各在之。
 御居長者二尺五寸、御座者帆上〈仁〉三重之採色之御座〈云々〉。四角也。殿上〈仁〉太貌在四人。俗形也。太〔大、以下同ジ〕床〈仁〉師子二頭〈金色、〉、的犬二頭〈石体〉。
一第三大菩薩、御正体〈石体。〉御床之上〈仁〉三重之地盤在之。各採色、其上〈仁〉令御座御〈云々〉。御座石傍ニ青瑠璃色之石筥在之。〈於其内者人不知之云々、〉左方在眷属使者神五体。御居長七寸。此内女形二体、俗形三体。金銅多宝塔一碁〔基〕、長三尺。薬師仏体六体、天童一体在之。
 右方石体之使者一体在之。
 御殿々上香盤十二番、不断燃之。移比叡山之霊火〈云々〉。
 外陳〔陣、以下同ジ〕〈仁〉石体之駒〔狛〕犬二頭在之。
一正三位御正体、中尊一体、冠俗体。御居長一尺、御衣装〈ハ〉青色、白シヤク〈ヲ〉持給。
 左方使者在九体。居長一尺。此内俗形七体、天童二体。右方使者在十体。内俗形五体、居長同前。天童五体、〈皆平座。〉太床師子二頭。
一上高宮三所御正体〔者脱〕、一慄手半立像、皆仏体也。但印相者同惣社。内陳三〈ノ〉間〈仁〉使者二体在之。御殿三間内、太貌十二体。内天童六人、俗形六人。太床〈仁〉師子二頭在之。
一本宮下高宮三所御正体、御居長一尺五寸。御面像白色、御衣赤地、打懸青地。
 第一・第二之御印相〈ハ〉同惣社。安鞍〈仁〉御座。第三之御所持物者白シヤク。惣〈天〉三所之眷属使者神在七十三体。内冠俗形十体、天童形五十三体、仏体十体。各御神体、大者一尺五寸、其余者面々不同也。外陣太貌六人、衣冠。師子二頭。
一浜宮御正体者、冠俗体、〈白大鬚。〉所持物者白シヤク、御衣赤色、安鞍御座。
 左方二体、内鑿指〈ノ〉荒作一体。造畢〈ノ〉一体共〈仁〉安鞍御座。御居長皆一尺五寸。造畢〈ノ〉体〈ハ〉天童之形〈木色〉也。右方二体、内鑿指〈ノ〉荒作一体。御座同前。造畢〈ノ〉女形一体、御色白色、御衣赤色。左右之使者神二十二体。内安鞍之天童一体、頭光之天童三体。御居長皆一尺五寸。其外者或一尺、或五寸。各御長不同也。内陳師子二頭在之。
外陳太貌四人、〈皆俗形。〉
一内殿三所御正体、等身御身。御印相者同惣社。使者神不在之。内陣之太貌八人。内二人者天童形、六人者俗形也。金銅之多宝塔二碁〔基〕、長六寸。
 右、注進如件、〈依社家評定。〉
   建治三年〈丁丑〉三月八日
                  学頭円秀
                  大中臣経実
                  大検校良増
                  祝  宗倫

 絵様委細文書等相違旨、神祇章〈在之。私。〉

 右古本者、神宮寺前住豪趣大和尚御自筆〈於〉写也。誠云悪筆、云老筆、彼是雖斟酌多、学頭長賀任誂、豪詮僧都七十歳〈仁〉書之。
 天正廿年〈壬辰〉五月六日、於赤馬八所宮本地堂書之。

 号高麗責、関白様鎮西〈仁〉御下向〈ハ〉二度目也。天正廿年卯月十九申剋(ママ)至赤馬御茶屋、御一宿、自翌日廿日、不夜明、如名島、被成御立也。過半高麗〈茂〉属御手〈仁〉与〈云々〉。
読み下し (〇前欠)
の御帳〈〇中欠〉内二体は安鞍に御座せしむ。各の左には如意宝珠、右には指羽。二体は平座と云々。右方眷属使者神八体、〈白色。〉此の内一体は、左に如意宝珠、右に指羽。七体は安鞍の御座と云々。殿上に大貌八体在り。内二人は天童の形、六人の衣冠の俗形なり。
第二大菩薩、第一大菩薩の御相好に相同じと云々。
左方眷属使者神八体在り、〈皆白色。〉此の内二体は安鞍の御座、六体は平座。御所持物は相同じ。
第一御前、右方眷属使者神九体在り、〈皆白色。〉三体は安鞍の御座、七体は平座なり。所持物同前。此の外立像仏体一体これ在り。大貌八体同前。
第三大菩薩、御座同前。
左方眷属使者神五体在り。内二体は安鞍の御座、三体は平座。所持物同前。此の外金銅座像の仏体一体。右方眷属使者神八体在り。内二体は安鞍、六体は平座。大貌の体九人。内天童形二人、俗形七人〈衣冠〉。此の内一人は愛絵師子。
大床師子二頭、駒犬二頭、〈的犬は石体。〉
 右、惣社九間四面の内、注文件の如し。
一中殿第二大菩薩、三所御身。御印相は惣社に同じ。但し御髪は釈迦の仏体なり。金の頭光各のこれ在り。
 御居長は二尺五寸、御座は帆上に三重の採色の御座と云々。四角なり。殿上に大貌四人在り。俗形なり。大床に師子二頭〈金色〉、的犬二頭〈石体〉。
一第三大菩薩、御正体〈石体〉。御床の上に三重の地盤これ在り。各の採色、其の上に御座せしめ御ふと云々。御座石傍らに青瑠璃色の石筥これ在り。〈其の内においては、人これを知らずと云々、〉左方に眷属使者神五体在り。御居長は七寸。此の内女形二体、俗形三体。金銅多宝塔一基、長さ三尺。薬師仏体六体、天童一体これ在り。
 右方石体の使者一体これ在り。
 御殿々上香盤十二番、不断これを燃す。比叡山の霊火を移すと云々。
 外陣に石体の駒犬二頭これ在り。
一正三位御正体、中尊一体、冠俗体。御居長一尺、御衣装は青色、白シヤク(笏)を持ち給ふ。
 左方使者九体在り。居長は一尺。此の内俗形七体、天童二体。右方使者十体在り。内俗形五体、居長同前。天童五体、〈皆平座。〉大床師子二頭。
一上高宮三所御正体は、一慄手半立像、皆仏体なり。但し印相は惣社に同じ。内陣三の間に使者二体これ在り。御殿三間内に大貌十二体。内天童六人、俗形六人。大床に師子二頭これ在り。
一本宮下高宮三所御正体、御居長は一尺五寸。御面像は白色、御衣は赤地、打懸は青地。
 第一・第二の御印相は惣社に同じ。安鞍に御座。第三の御所持物は白シヤク(笏)。惣じて三所の眷属使者神七十三体在り。内冠俗形十体、天童形五十三体、仏体十体。各の御神体、大は一尺五寸、其余は面々不同なり。外陣大貌六人、衣冠。師子二頭。
一浜宮御正体は冠俗体、〈白大鬚。〉所持物は白シヤク(笏)、御衣は赤色、安鞍の御座。
 左方二体、内鑿指(ノミサシ)の荒作一体。造畢の一体共に安鞍の御座。御居長は皆一尺五寸。造畢の体は天童の形、〈木色〉なり。右方二体、内鑿指の荒作一体。御座同前。造畢の女形一体、御色は白色、御衣は赤色。左右の使者神は二十二体。内安鞍の天童一体、頭光の天童三体。御居長は皆一尺五寸。其の外は或いは一尺、或いは五寸。各の御長不同なり。内陣師子二頭これ在り。
外陣大貌四人、〈皆俗形。〉
一内殿三所御正体、等身の御身。御印相は惣社に同じ。使者神これに在らず。内陣の大貌八人。内二人は天童形、六人は俗形なり。金銅の多宝塔二基、長さ六寸。
 右、注進件の如し。〈社家評定に依る。〉
   建治三年〈丁丑〉三月八日
                  学頭円秀
                  大中臣経実
                  大検校良増
                  祝  宗倫

 絵様委細文書等相違の旨、神祇章にこれ在り。私。

 右の古本は、神宮寺の前住豪趣大和尚の御自筆を写すなり。誠に悪筆と云ひ、老筆と云ひ、彼是斟酌多しと雖も、学頭長賀の誂へに任せ、豪詮僧都七十歳にこれを書く。
 天正廿年〈壬辰〉五月六日、赤馬八所宮本地堂においてこれを書く。

 高麗責めと号し、関白様(豊臣秀吉)鎮西に御下向は二度目なり。天正廿年卯月十九申剋赤馬の御茶屋に至り、御一宿。翌日の廿日より、夜明けずして、名島の如く御立成さるるなり。過半高麗も御手に属すと云々。
大意 建治三年(1277)三月八日、祝宗倫ら辺津宮の祭神・脊属・使者神等の委細を注進し、天正二十年(1592)五月六日、豪詮これを書写する。
紙質 楮紙
寸法(縦) 28.7cm
寸法(横) 265.9cm
備考 七紙継ぎで、横の寸法は第一紙から順に36.3cm、40.0cm、40.1cm、40.1cm、40.1cm、39.9cm、36.1cm。 「宗像三所大菩薩宮御座次第」については、『宗像大社文書』第三巻により古い写本がある。
出典 『宗像大社文書』第2巻