宗像関連古文書・史料
文書群名 |
宗像家文書 |
文書番号 |
4 |
文書名 |
色定法師一筆一切経由来記 |
和暦 |
天明四年十二月十六日
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西暦 |
1784年 12月 16日 |
本文 |
此為色定法師真蹟。田島邨権之丞者、家世蔵之。県令富永氏休一見、如獲拱璧捨資装裱、欲副法師遺像、以伝永遠也。乞余一言題之。烏乎偉哉。法師手写大蔵、閲四十二年乃始卒業。此古今未曽有事、孰不景仰。于今納在宗像神祠、星霜既久。蠧敗散逸者十之一、極可痛惜。聞氏休慨然建議、将脩治全部、歳五百巻、限十年成功。是其為志可謂勤矣。苟非歴練職事、明決如割仁恕用事。綽有余裕者、奚能至此且此蹟也。係大蔵総計題識則先表出之中矣。相伝権之丞、其先蓋与法師有族縁、似続五百七十余載。云其為親書、固不容疑焉。於是乎不辞而識。天明四年甲辰十二月既望 万年崇福禅寺沙門曇栄宗曄手書[朱印](印文「竺海宗曄」、陽刻)[朱印](印文「曇栄」、陰刻) |
読み下し |
此は色定法師の真蹟たり。田島邨権之丞は、家に世々これを蔵す。県令富永氏休一見するに、拱璧を獲て資に装裱を捨するが如く、法師の遺像に副へ、以て永遠に伝へんと欲す。余に一言を乞ふにこれに題す。ああ偉なる哉。法師大蔵を手写し、四十二年を閲て乃ち始めて業を卒ふ。此れ古今未曽有の事、孰か景仰せざらん。今に宗像の神祠に納在し、星霜既に久し。蠧敗散逸するもの十の一、極めて痛惜すべし。聞く氏休慨然として建議し、将に全部を脩治し、歳に五百巻、十年を限り成功せんとす。是れ其の志たるや勤と謂ふべし。苟くも歴練の職事に非ずんば、明決して仁恕の用事を割くが如し。綽かに余裕あらば、奚ぞ能く此れ且つ此の蹟に至らんや。大蔵の総計題識に係らば則ち表出の中に先んず。相伝の権之丞、其れ先づ蓋し法師と族縁あり、五百七十余載を似続す。云に其れを親書となして、固より疑を容れず。是に於いて辞せずして識す。天明四年甲辰十二月既望 万年崇福禅寺沙門曇栄宗曄手書[朱印][朱印] |
大意 |
博多崇福寺の住持曇栄宗曄、郡奉行富永氏休の求めに応じて、色定法師一筆一切経奥書に由来記を付し、氏休の一切経修治の功をたたえる。 |
紙質 |
絹本墨書 |
寸法(縦) |
67cm |
寸法(横) |
23.4cm |
備考 |
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出典 |
『宗像大社文書』第2巻 |
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