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  • 宗像氏盛事書案/
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文書群名 宗像家文書
文書番号 2
文書名 宗像氏盛事書案
和暦 正和二年正月九日
西暦 1313年 1月 9日
本文 (表題)「宗像社事書条々」
事書条々
 右、可興行神事、勤行仏事、修造諸社、修理寺堂事、并勧農以下所務雑務等条々事、固守正嘉三年二月八日大札之旨、爰〔厳〕蜜可致沙汰也焉。
一、社住甲乙人等、可相従松法師所命事。
 右、於背松法師之所命、破内談之儀輩者、不謂親類・兄弟、不撰祠官・名主、不日可令追放社内也焉。
一、年貢済物未進事。
 右、任前々傍〔例脱カ〕、加呵嘖、可被徴納也。尚以於不叙用之輩者、令収公下地、可付下作人也。縦雖為少分、可行分限之科也焉。
一、内談事。
 右、内談衆令書起請文、憲法可致其沙汰也。於衆中一同之儀者、不及子細。若衆儀不同之時者、申合故実之人々、可被相計。但或構今案、企姦曲、或不参及数箇度之輩者、且出衆中、且可有其科也。縦雖無可〔申脱カ〕合事、於有限式日者、参会公〔文脱カ〕所、可被申談諸事。松法師成長之後者、任道理可令成敗也焉。
一、諸郷納所、御用修理料米、晴気・田久得分以下等勘定事。
 右、就于公文所書下、令下行之、取方々請取、続書下与請取、可遂勘定也。任雅意令散用之条、敢不可許用。若沙汰人致抑留者、指日限、可経入也。若令違期者、改所職、可補憲法之仁也。
一、諸郷弁済使・公文・名主以下沙汰人等、任雅意不可仕百姓事。
 右、殊加禁制、固可令停止。尚以於不叙用之族者、不日改易所職、可補穏便之輩也焉。
一、年貢加増事、
 右、社家之大訴也。進雑掌於関東、可歎申也。而近年以公田為恩給、以年貢之内、充給米之仁等多以有之歟。悉令収公、可全御年貢。訴訟入眼之後者、如元可充給也。但於無足仁者、加内談、可被相計也焉。
一、関東御使以下雑事課役等事。
 右、守公文所配分之旨、無緩怠之儀、可致沙汰。若於令難渋之輩者、殊可行重科也焉。
一、方々雑掌・使節并結番等奉公事。
 右、或糺巡儀、或依所帯之分限、且就当座之器量、可勤仕。若御公事之外、称指合、於令辞退之仁者、為不忠之最一。殊可行罪科、将又過于社恩、越於傍輩、至于致奉公之族者、尤可有忠賞也。
 次結番事、続調奉行人之着到与番頭之着到、可令勘合之。外〔若カ〕不参及五ケ度者、可処罪科。於非番之輩者、可有別功之旨、載右状畢。
一、為田所沙汰、支配諸郷夫・伝馬事。
 右、案大札之趣、当職者社家之規模也〈云々〉。而近年自親類以下方々、内々召仕之由、有其聞。太以無謂。所詮、置片日記於公文所、糺巡儀、無偏頗令支配之、一年両度可遂勘定也焉。
一、浦・島事。
 右、自方々離沙汰人、直遣使者、責取肴以下御菜等事、太以不穏便。固可令停止。若尚於不叙用之輩者、向惣官松法師、可存異儀歟。於眤親彼仁之族者、更不可打解心者也焉。
一、山口事。
 右、山口○(山)・垂水山・山田山、於彼山之口者、更非制之限。致禁制者、還而可成土民之煩者也。此外屏風岳・極楽寺山・用山・高山・帝賢寺山等者、依為用水、固可令禁制之由、可被相触沙汰人等也焉。
一、早馬事。
 右、任守文、無緩怠之儀、可致沙汰。若於令違犯之輩者、守右状之旨、固可行其咎也焉。
一、鎧以下具足等并馬事。
 右、天下御大事出来之時者、薄広令配分、落居以後者、如元可入置納殿。於私之借用者、縦雖為親類・兄弟、敢不可許用者也。次馬事、子細同前。
以前条々如此。但不載此事書、相漏彼一篇子細等、不可勝計歟。然者或守式目之旨趣、或尋先々之傍例、且任理致之所指、且依時宜之所推、加内談、憲法可被致其沙汰。凡○(糺)明忠与不忠之浅深、可有感与不感之軽重。正理非、則政道之肝心也。行賞罰、是治世之眼目也。仍事書状如件。
  正和弐年正月九日    (花押影)
(押紙)
 (異筆)〈「正和二年癸丑ヨリ至享徳三年甲戌マテ一百四十二年也」〉
 (朱書)〈「人皇九十四代花園院御宇」〉
読み下し 事書条々
 右、神事を興行し、仏事を勤行し、諸社を修造し、寺堂を修理すべき事、并びに勧農以下所務雑務等条々の事、固く正嘉三年二月八日の大札の旨を守り、厳蜜に沙汰致すべきなり。
一、社住の甲乙人等、松法師(宗像氏長・氏範)の所命に相従ふべき事。
 右、松法師の所命に背き、内談の儀を破る輩においては、親類・兄弟を謂はず、祠官・名主を撰ばず、不日社内を追放せしむべきなり。
一、年貢済物未進の事。
 右、前々の傍例に任せて、呵嘖を加へ、徴納せらるべきなり。尚ほ以て叙用せざるの輩においては、下地を収公せしめ、下作人に付すべきなり。縦ひ少分たりといへども、分限の科に行ふべきなり。
一、内談の事。
 右、内談衆に起請文を書かしめ、憲法に其の沙汰を致すべきなり。衆中一同の儀においては、子細に及ばず。若し衆儀同じからざるの時は、故実の人々と申し合せ、相計らはるべし。但し或は今案を構へ、姦曲を企て、或は不参数箇度に及ぶの輩は、かつうは衆中を出し、かつうは其の科あるべきなり。縦ひ申し合はすべき事なしといへども、限り有る式日においては、公文所に参会し、諸事を申し談ぜらるべし。松法師成長の後は、道理に任せて成敗せしむべきなり。
一、諸郷の納所、御用修理料米、(肥前国小城郡)晴気・(筑前国宗像郡)田久の得分以下等勘定の事。
 右、公文所の書下に就いて、下行せしめ、方々の請取を取り、書下と請取とを続ぎ、勘定を遂ぐべきなり。雅意に任せて散用せしむるの条、敢て許用すべからず。若し沙汰人抑留を致さば、日限を指し、経入るべきなり。若し違期せしめば、所職を改め、憲法の仁を補すべきなり。
一、諸郷の弁済使・公文・名主以下沙汰人等、雅意に任せて百姓を仕ふべからざる事。
 右、殊に禁制を加へ、固く停止せしむべし。尚もつて叙用せざるの族においては、不日所職を改易し、穏便の輩を補すべきなり。
一、年貢加増の事。
 右、社家の大訴なり。雑掌を関東に進らせ、歎き申すべきなり。而るに近年公田を以つて恩給となし、年貢の内を以つて、給米に充つるの仁等多くもつてこれあるか。悉く収公せしめ、御年貢を全うすべし。訴訟入眼の後は、元の如く充て給ふべきなり。但し無足の仁においては、内談を加へ、相計らはるべきなり。
一、関東の御使以下の雑事課役等の事。
 右、公文所の配分の旨を守り、緩怠の儀なく、沙汰致すべし。若し難渋せしむるの輩においては、殊に重科に行ふべきなり。
一、方々雑掌・使節并びに結番等奉公の事。
 右、或は巡儀を糺し、或は所帯の分限に依り、且当座の器量に就いて、勤仕すべし。若し御公事の外、指合と称し、辞退せしむるの仁においては、不忠の最一たり。殊に罪科に行ふべし、将又社恩に過ぎ、傍輩を越へ、奉公を致すの族に至りては、尤も忠賞あるべきなり。
 次いで結番の事、奉行人の着到と番頭の着到を続ぎ調へ、勘合せしむべし。若し不参五ケ度に及ばば、罪科に処すべし。非番の輩においては、別ちの功あるべきの旨、右の状に載せ畢んぬ。
一、田所の沙汰として、諸郷に支配する夫・伝馬の事。
 右、大札の趣を案ずるに、当職は社家の規模なりと〈云々〉。而るに近年親類以下の方々より、内々に召し仕ふの由、其の聞こえあり。太だ以て謂なし。所詮、片日記を公文所に置き、巡儀を糺し、偏頗なく支配せしめ、一年に両度勘定を遂ぐべきなり。
一、浦・島の事、
 右、自方々より沙汰人を離れ、直に使者を遣はし、肴以下御菜等を責め取るの事、太だ以て穏便ならず。固く停止せしむべし。若し尚ほ叙用せざるの輩においては、惣官松法師に向ひて、異儀を存ずべきか。彼の仁に眤親の族においては、更に心を打ち解くべからざるものなり。
一、山の口の事。
 右、山口山・垂水山・山田山、彼の山の口においては、更に制の限にあらず。禁制致さば、還つて土民の煩となるべきものなり。此の外屏風岳・極楽寺山・用山・高山・帝賢寺山等は、用水たるに依つて、固く禁制せしむべきの由、沙汰人等に相触れらるべきなり。
一、早馬の事。
 右、守文に任せて、緩怠の儀なく、沙汰致すべし。若し違犯せしむるの輩においては、右の状の旨を守り、固く其の咎に行ふべきなり。
一、鎧以下具足等并びに馬の事。
 右、天下の御大事出来の時は、薄広に配分せしめ、落居以後は、元の如く納殿に入れ置くべし。私の借用においては、縦ひ親類・兄弟たりといへども、敢へて許用すべからざるものなり。次いで馬の事、子細同前。
以前の条々此の如し。但し此の事書に載せず、かの一篇に相漏るるの子細等、勝げて計うべからざるか。然れば或は式目の旨趣を守り、或は先々の傍例を尋ね、且は理致の指す所に任せて、且は時宜の推す所に依り、内談を加へ、憲法に其の沙汰を致さるべし。凡そ忠と不忠の浅深を糺し明らめ、感と不感の軽重あるべし。理非を正すは、則ち政道の肝心なり。賞罰を行ふは、是れ治世の眼目なり。仍つて事書の状件の如し。
  正和弐年正月九日    (花押影)(宗像氏盛)
(押紙)
 (異筆)〈「正和二年癸丑ヨリ享徳三年甲戌ニ至ルマデ一百四十二年也」〉
 (朱書)〈「人皇九十四代花園院ノ御宇」〉
大意 前大宮司宗像氏盛は宗像社領支配のため、神事興行、仏事勤行、諸社修造、寺堂修理、勧農以下所務雑務等について十三ヶ条の規定を定めた。
紙質 楮紙
寸法(縦) 33.6cm
寸法(横) 241.7cm
備考 表題は表装の時点で書かれたもの。原本写真参照。
出典 『宗像大社文書』第2巻