世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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宗像関連古文書・史料

  • 御感状/
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文書群名 宗像社家文書惣目録
文書番号 71
文書名 御感状
和暦
西暦 年 月
本文 一御感状
 一通 義詮御下文 〈延文四年十月廿三日/日下御判〉
    大保原合戦頼尚相共致忠節之由文言有之。
 一通 義詮御下文 〈康安元年八月三日〉
    武光宗像寄来追帰之時御感状
 一通 今河探題了俊京都御吹挙状 〈八月七日〉
    但所領安堵并忠節之由御吹挙状
 一通 今河探題御書 〈四月廿八日〉
    但京都へ御上之時奥州へ当方可有御扶持之由文言有之。
 一通 管領玉堂殿左衛門佐御教書 〈明徳元年七月廿八日〉
    但在陣御感。
 一通 義満将軍御下文 〈応永五年/十一月七日〉
    筑前国八田・恵通寺両所合戦御感状
    社務千代松丸代 但氏経也。
 一通 管領畠山徳元御教書 〈応永八年/七月十一日〉
    社務氏経代
 一通 同徳元御教書 〈応永九年/四月廿五日〉
    同氏経代
    以上一巻八通

    惣已上八十三巻〈仁〉

右、撰用捨文書、所目録如件。
  応永十六年〈己丑〉卯月十四日
                 太〔大〕宮司宗像朝臣氏経

   古本殿上職学頭律師長賀書写之。
読み下し 一御感状
(ア)一通 (足利)義詮御下文 〈延文四年十月廿三日/日下御判〉
      (筑後国)大保原合戦(少弐)頼尚相共致忠節之由文言有之。
(イ)一通 義詮御下文 〈康安元年八月三日〉
      (菊池)武光宗像寄来追帰之時御感状
(ウ)一通 今河探題了俊(貞世)京都御吹挙状 〈八月七日〉
      但所領安堵并忠節之由御吹挙状
(エ)一通 今河探題(了俊)御書 〈四月廿八日〉
      但京都へ御上之時奥州(今川貞臣)へ当方可有御扶持之由文言有之。
(オ)一通 管領玉堂殿左衛門佐(斯波義将)御教書 〈明徳元年七月廿八日〉
      但在陣御感。
(カ)一通 (足利)義満将軍御下文 〈応永五年/十一月七日〉
      筑前国八田・恵通寺両所合戦御感状
      社務千代松丸代 但氏経也。
(キ)一通 管領畠山徳元(基国)御教書 〈応永八年/七月十一日〉
      社務氏経代
(ク)一通 同徳元御教書 〈応永九年/四月廿五日〉
      同氏経代
      以上一巻八通

      惣已上八十三巻〈仁〉

右、撰用捨文書、所目録如件。
  応永十六年〈己丑〉卯月十四日
                 大宮司宗像朝臣氏経

   古本殿上職学頭律師長賀書写之。
大意
紙質
寸法(縦) cm
寸法(横) cm
備考 「宗像社家文書惣目録」については、原本で付された番号に従ってデータを1~71に分割し、傍注や(ア)以下の番号を追記したものを「読み下し」に掲載した。 ※「恵通寺」は糟屋郡粕屋町江辻ではないか。
出典 『宗像大社文書』第2巻