世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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宗像関連古文書・史料

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文書群名 宗像社家文書惣目録
文書番号 2
文書名 別府文書
和暦 応永十六年四月十四日
西暦 1409年 4月 14日
本文 一別府文書
 一通 庁宣 〈応保二年七月八日/大介中原朝臣在判〉
 一通 関東施行 〈建久二年八月一日/但本木・内殿両郷文書〉
    社務氏家代 盛時裏判
 一通 関東安堵 〈建永元年七月十四日/奉行五人各在判〉
    同氏用代 但本木・内殿同前
 一通 関東裁断下知 〈正嘉元年六月日/預所橘朝臣在判/但散在和与状云々。〉
 一通 関東安堵 〈弘安二年十月廿八日/別当相模守平朝臣在判〉
    社務長氏代 但社務職安堵文言同有之。
 一通 同施行 〈弘安二年十二月二日/奉行両人在判〉
    同長氏代
 一通 同守護所下知 〈弘安二年十二月廿日/関東奉行五人在判〉
    同長氏代 袖判無名
 一通 決断所御牒 〈建武元年三月廿日/西市正中原朝臣在判/右中弁藤原朝臣在判〉
 一通 義詮御下文 〈正平六年/十二月三日〉
    社務氏正代 〈肥前国杵島北郷須古庄/地頭職文言在之。〉
 一通 九州探題一色道猷遵行 〈観応元年十一月廿五日〉
      五ケ所勲功之賞文言在之。
 一通 義詮御下文一色宮内少輔殿御教書
    社務氏正代 〈文和元年十一月廿二日/但須古庄文言有之。〉
 一通 義詮御下文 〈貞治二年五月二日〉
    同氏俊代 但須古庄文言有之。
 一通 今河探題了俊証状 〈応安六年/七月廿九日〉
    同氏俊代 武藤豊前孫次郎
        武藤豊前守両人尋状
 一通 今河探題使節原田少輔三郎〈仁〉宛社家へ渡状 〈応安六年九月廿八日〉
    同氏俊代
 一通 使節原田大蔵種公請文 〈応安七年/二月十六日〉
    同氏俊代 曲村証文在之。
 一通 了俊原田方〈エ〉重御教書 〈応安六年/十二月廿六日〉
    同氏俊代 曲村証文有之。
 一通 使節原田請文 〈応安七年二月十六日〉
    同氏頼代 曲村証文有之。
 一通 義満将軍御下文 〈永徳三年/五月十六日〉
    別府五ケ郷名有之。并曲・久原証文在之。
 一通 義満将軍御下文 〈明徳三年/正月廿八日〉
 一通 今河探題同遵行 〈明徳三年四月廿三日/云当知行云御成敗文言在之。〉
    已上一巻二十通
 一通 今河殿御状 〈五月十日〉
    社務氏頼代
 一通 今河金吾書状 但探題了俊〈エ〉口入肝要状也。五月一日 氏頼代
     但了俊舎弟実名仲秋〈ト〉申之。
    以上一巻二通
読み下し 一別府文書
(ア)一通 庁宣 〈応保二年七月八日/大介中原朝臣在判〉
(イ)一通 関東施行 〈建久二年八月一日/但本木・内殿両郷文書〉
      社務氏家代 盛時裏判
(ウ)一通 関東安堵 〈建永元年七月十四日/奉行五人各在判〉
      同氏用代 但本木・内殿同前
(エ)一通 関東裁断下知 〈正嘉元年六月日/預所橘朝臣在判/但散在和与状云々。〉
(オ)一通 関東安堵 〈弘安二年十月廿八日/別当相模守平朝臣(北条時宗)在判〉
      社務長氏代 但社務職安堵文言同有之。
(カ)一通 同施行 〈弘安二年十二月二日/奉行両人在判〉
      同長氏代
(キ)一通 同守護所下知 〈弘安二年十二月廿日/関東奉行五人在判〉
      同長氏代 袖判無名
(ク)一通 決断所御牒 〈建武元年三月廿日/西市正中原朝臣(章有)在判/右中弁藤原朝臣(中御門宣明)在判〉
(ケ)一通 (足利)義詮御下文 〈正平六年十二月三日〉
     社務氏正代 〈肥前国杵島北郷須古庄/地頭職文言在之。〉
(コ)一通 九州探題一色道猷(範氏)遵行 〈観応元年十一月廿五日〉
        五ケ所勲功之賞文言在之。
(サ)一通 (足利)義詮御下文一色宮内少輔(直氏)殿御教書
      社務氏正代 〈文和元年十一月廿二日/但須古庄文言有之。〉
(シ)一通 義詮御下文 〈貞治二年五月二日〉
      同氏俊代 但須古庄文言有之。
(ス)一通 今河探題了俊(貞世)証状 〈応安六年/七月廿九日〉
     同氏俊代 武藤豊前孫次郎
          武藤豊前守両人尋状
(セ)一通 今河探題(了俊)使節原田少輔三郎(種公)〈仁〉宛社家へ渡状 〈応安六年九月廿八日〉
      同氏俊代
(ソ)一通 使節原田大蔵種公請文 〈応安七年/二月十六日〉
      同氏俊代 曲村証文在之。
(タ)一通 了俊(今川貞世)原田方〈エ〉重御教書 〈応安六年/十二月廿六日〉
      同氏俊代 曲村証文有之。
(チ)一通 使節原田請文 〈応安七年二月十六日〉
      同氏頼代 曲村証文有之。
(ツ)一通 (足利)義満将軍御下文 〈永徳三年/五月十六日〉
      別府五ケ郷名有之。并曲・久原証文在之。
(テ)一通 義満将軍御下文 〈明徳三年/正月廿八日〉
(ト)一通 今河探題(了俊)同遵行 〈明徳三年四月廿三日/云当知行云御成敗文言在之。〉
      已上一巻二十通
(ナ)一通 今河(了俊)殿御状 〈五月十日〉
      社務氏頼代
(ニ)一通 今河金吾(仲秋)書状 但探題了俊〈エ〉口入肝要状也。五月一日 氏頼代
       但了俊舎弟実名仲秋〈ト〉申之。
      以上一巻二通
大意
紙質
寸法(縦) 27.9cm
寸法(横) 19.7cm
備考 「宗像社家文書惣目録」については、原本で付された番号に従ってデータを1~71に分割し、傍注や(ア)以下の番号を追記したものを「読み下し」に掲載した。
出典 『宗像大社文書』第2巻