宗像関連古文書・史料
文書群名 |
宗像大宮司長氏証文注進状案 |
文書番号 |
15 |
文書名 |
関東御教書案 |
和暦 |
嘉禄三年五月十三日
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西暦 |
1227年 5月 13日 |
本文 |
〈正文者、大和太郎左衛門尉信定申請之由、裏書在之。〉 (合点)此間何事候哉、 抑宗像社領内牟留木・宮田・与里二郎丸名等事、度々御辞退候之上、西島弥二郎所領被召候之間、可被相博○〔歟〕之由、駿河二郎申候之間、牟留木・宮田・二郎丸名等〈波〉被付社候畢。而西島弥二郎領〈波〉最狭少〈仁〉候〈奈留〉間、替事追可有御計之由、被仰下候也。可申驚候、於保徒加奈久不可思食候。穴賢々々。 〈嘉禄三年〉五月十三日 武蔵守〈(合点)在御判〉 大和入道殿 |
読み下し |
〈正文は、大和太郎左衛門尉信定申し請くるの由、裏書これ在り。〉 (合点)此の間何事侯哉、 抑宗像社領内(鞍手郡)牟留木・宮田・(宗像郡)与里二郎丸名等の事、度々御辞退候の上、西島弥二郎の所領召され候の間、相博せらるべきかの由、駿河二郎(三浦泰村)申し候の間、牟留木・宮田・二郎丸名等は社に付けられ候ひ畢んぬ。而るに西島弥二郎の領は最も狭少に候なる間、替事追つて御計ひあるべきの由、仰せ下され候なり。申し驚かすべく候、おぼつかなく思し食すべからず候。穴賢々々。 嘉禄三年五月十三日 武蔵守(北条泰時)〈(合点)在り御判〉 大和入道(宇都宮信房、道賢)殿
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大意 |
鎌倉幕府、宗像社領内牟留木・宮田・与里二郎丸名を宗像社に付す。 |
紙質 |
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寸法(縦) |
cm |
寸法(横) |
cm |
備考 |
釈文、○印の箇所に訂正の裏花押あり。
原本から読み下しに「鞍手郡」「宗像郡」の傍注を追加し、大意の「宗像郡」を削除した。原本は「1大宮司長氏証文中心目録案」に付された傍注と整合がとれていない。 |
出典 |
『宗像大社文書』第2巻 |
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