世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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宗像関連古文書・史料

  • 今川仲秋〈頼泰〉書状/
  • 今川仲秋〈頼泰〉書状/
文書群名 出光佐三氏奉納文書
文書番号 32
文書名 今川仲秋〈頼泰〉書状
和暦 五月一日
西暦 年 5月 1日
本文 宗像大宮司氏頼申筑前国宗像別符五ケ郷事、為根本神領、代々将軍家拝領仕候了。重宛氏頼身、京都より被成案〔安〕堵候。当知行無煩候之処、平井方より申子細候歟之間、内々歎申候。任当御代案〔安〕堵御下文之旨、預御遵行候者、可畏入候由申候。無相違候様、申御沙汰候者、可然候、此由急速申御沙汰候者、喜入候。恐々謹言。
  五月一日   仲秋(花押)
  斎藤入道殿
読み下し 宗像大宮司氏頼申す筑前国(宗像郡)宗像別符五ケ郷の事、根本神領として、代々将軍家拝領仕り候ひ了んぬ。重ねて氏頼の身に宛て、京都より安堵を成され候。当知行煩らひ無く候の処、平井方より子細を申し候かの間、内々歎き申し候。当御代安堵の御下文の旨に任せ、御遵行に預り候はば、畏り入るべく候の由申し候。相違無く候様、申し御沙汰候はば、然るべく候、此の由急速に申し御沙汰候はば喜び入り候。恐々謹言。
  五月一日   (今川)仲秋(花押)
  斎藤入道(聖信)殿

大意 筑前国宗像別符五ケ郷は宗像社の根本神領として代々の将軍家から安堵され、大宮司氏頼は重ねて室町幕府から安堵され無事知行していたが平井氏が異議を申し立てた。氏頼は今川仲秋に歎き訴えたので、仲秋は九州探題今川了俊の
奉行人である斎藤入道に申し入れ、氏頼の知行を全うするよう手配を依頼した。
紙質 楮紙
寸法(縦) 29.3cm
寸法(横) 第一紙45.5 第二紙33.7cm
備考 宗像社家文書惣目録2(ニ)に対応。
出典 『宗像大社文書』第2巻