世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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宗像関連古文書・史料

  • 関東御教書/
文書群名 出光佐三氏奉納文書
文書番号 4
文書名 関東御教書
和暦 仁治二年六月三日
西暦 1241年 6月 3日
本文 宗像社領曲村事。任先例可為地頭請所之由、御下知先了。而称有社司之申旨、住人百姓等忽令依違〈云々〉、事若実者、甚不穏便。彼請所之儀、更不可相違、早守先御下知状、 可被致沙汰之状、依仰執達如件。
  仁治二年六月三日   前武蔵守(花押)
 大宰少弐殿
読み下し 宗像社領(宗像郡)曲村の事。先例に任せ地頭請所たるべきの由、御下知先に了んぬ。而るに社司の申す旨ありと称し、住人百姓等忽ち依違せしむと云々、事若し実ならば、甚だ穏便ならず。彼の請所の儀、更に相違すべからず。早く先の御下知状を守り、沙汰を致さるべきの状、仰せに依つて執達件の如し。
  仁治二年六月三日   前武蔵守(北条泰時)(花押)
 大宰少弐(藤原為佐)殿
大意 鎌倉幕府は、宗像社領宗像郡曲村を地頭請所としていたが、住人百姓等が社司の言い分だと言って従わないので、大宰少弐狩野為佐に同村を地頭請所として相違なく沙汰させるよう命じる。
紙質 楮紙
寸法(縦) 30.2cm
寸法(横) 45.5cm
備考
出典 『宗像大社文書』第2巻