世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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宗像関連古文書・史料

  • 関東下知状/
文書群名 出光佐三氏奉納文書
文書番号 2
文書名 関東下知状
和暦 貞應元年七月二十七日
西暦 1222年 7月 27日
本文 宗像社大宮司職事
右、件職、氏国相伝之上、蒙故右大将家御下知、年来執行社務之処、去建保三年為其時領家、按察家被致濫妨之刻、為故右大臣家御沙汰、令経 院奏、被還補畢。今為御代始参向、給身暇、所令帰国也。任先御成敗、無相違可令安堵之状、依仰下知如件。
  貞応元年七月廿七日
               陸奥守平(花押)
読み下し (筑前国宗像郡)宗像社大宮司職の事
右、件の職は、(宗像)氏国相伝の上、故右大将家(源頼朝)の御下知を蒙り、年来社務を執行するの処、去る建保三年其の時の領家として、按察家(葉室光親)濫妨を致さるるの刻、故右大臣家(源実朝)御沙汰として、院奏を経しめ、還補せられ畢んぬ。今御代始として参向し、身の暇を給はり、帰国せしむる所なり。先の御成敗に任せ、相違なく安堵せしむべきの状、仰せに依つて下知件の如し。
  貞応元年七月廿七日
               陸奥守平(北条義時)(花押)
大意 鎌倉幕府、宗像氏国を宗像大宮司に還補し、帰国させる。
紙質 楮紙
寸法(縦) 33.8cm
寸法(横) 47cm
備考 宗像社家文書惣目録68(ク)に対応。
出典 『宗像大社文書』第2巻