宗像関連古文書・史料
文書群名 |
八巻文書第8巻 |
文書番号 |
187 |
文書名 |
宗像第一宮末社復興記 |
和暦 |
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西暦 |
年 月 |
本文 |
宗像第一宮末社復興記 胸肩一宮者、皇女之所在、一百八神儀衛森厳。亶本朝之宗廟、九州鎮護之神也。天正年中大宮司家萎絶、末社亦随而泯。某林塢、某隴畝、只有神名、空拝遺塵也。已当今太守従四位下行侍従源朝臣黒田氏光之公崇信益厚。嘆諸神無所拠、命有司而鳩工、使大宮司深田民部秋続監之。約作二十宇、制度幾輪囷。其一乃大嶋中津宮。其一乃隠神澳津宮。其余十八宇每社六座一百八神。感格景響如。環繞瑞籬、羅列天門。如衆星拱北辰。実是延宝三年夏六月俶載、明年七月落而禋焉。於是神廟与侯家万年栄色、接松筠。霊感与武運一団瑞気、集鳳麟。懿哉、盛哉、功名節義世無比倫。 |
読み下し |
宗像第一宮末社復興記 胸肩の一宮は、皇女の在す所にして、一百八神儀衛森厳たり。亶に本朝の宗廟にして、九州鎮護の神なり。天正年中大宮司家萎絶し、末社も亦随つて泯ぶ。某の林塢、某の隴畝、只神名ありて、空しく遺塵を拝するなり。已に当今の太守従四位下行侍従源朝臣黒田氏光之公崇信すること益厚し。諸神の拠る所なきを嘆じ、有司に命じて工を鳩め、大宮司深田民部秋続をして之を監せしむ。約して二十宇と作り、制度幾に輸囷たり。其の一は乃ち大嶋中津宮。其の一は乃ち隠神澳津宮。其の余の十八宇は社毎に六座にして一百八神。感格景響の如し。瑞籬を環繞し、天門に羅列す。衆星の北辰に拱するが如し。実に是れ延宝三年夏六月載を俶め、明年七月落して焉を禋る。是において神廟と侯家と万年栄色、松筠を接す。霊感と武運と一団の瑞気、鳳麟を集む。懿い哉、盛んなる哉、功名の節義世に比倫なし。 |
大意 |
福岡藩主黒田光之、延宝三年(1675)から翌年七月にかけ、深田秋続をして、本殿の周囲に中津宮・澳津宮など二十宇を建てて百八神を集めさせる。 |
紙質 |
楮紙 |
寸法(縦) |
27.8cm |
寸法(横) |
73cm |
備考 |
3紙継ぎの料紙に、186号文書とともに書かれる(横寸法は第1紙が44.9cm、第2紙が42.9cm、第3紙が37.5cm)。原文書には独自の振り仮名、返り点が施されている。 |
出典 |
『宗像大社文書』第1巻 |
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